阿弥陀さまに包まれて みんなの法話
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阿弥陀さまに包まれて
本願寺新報2002(平成14)年8月10日号掲載
布教使 石本 龍憲(いしもと りゅうけん)
なかなか気付けない
本願寺出版社から発刊されている『人生のほほえみ-中学生はがき通信』という本に、「仏さま」と題した詩が掲載されています。
<pclass="cap2"> いつでも どこでも
仏さまに
照らされている私でありました
<pclass="cap2"> いつでも どこでも
仏さまに
つつまれている私でありました
<pclass="cap2">―そのみ仏を「アミダ」という
阿弥陀仏という仏さまは、私が物心つく前から、私のことを心配し、いつでも、どこでも、私のことを照らし、包んで下さっているお方です。
しかし、そのことに、なかなか気付くことができなかった私でした。
私がまだ小さかった頃、朝起きたら、まず顔を洗い、そしてみ仏さまにお参りをしなければ、朝ご飯を食べさせてもらえませんでした。
お参りするのは面倒で面倒で、本当にいやでしたので、お参りをさぼってしまうことが度々ありました。
ばれないだろうと高をくくっていたのですが、すぐにばれてしまい、本当にご飯を何度か食べさせてもらえませんでした。
ご飯抜きがいやだから、しぶしぶお参りをする。
お参りといってもただ手を合わすだけの私でした。
そんな私の前で、父は毎日お経をお勤めしていました。
よく、こんなことができるなあと、不思議に思ったことでした。
私も、今は四捨五入をすれば五十歳になろうという年齢になってきました。
三人の子どもたちもそれぞれに成長してきましたが、この子どもたちに、私も父と同じことをしています。
私にお参りするように言われ、しぶしぶお参りしている子どもの横で、また私も父と同じように、お経をお勤めしています。
お勤めせずにはおれない思いがあるからです。
『人生のほほえみ』の著者である波北彰真さんは、「仏さま」のタイトルの下のところに、「仏さまに背を向け、逃げて逃げて逃げまわり、知らんぷりをきめこんで、いい気になっている私なのに...」というコメントを添えていらっしゃいます。
私も、同じように阿弥陀さまに背を向けて生きてきたような気がします。
手を合わす、たったそれだけのことさえ、逃げて逃げてきました。
だからもちろん仏さまのことなんかこれっぽっちも頭にありません。
朝ご飯が食べたいからやっていたに過ぎないのですが、自分も子を持つ身になり、父親に「手を合わす子になってくれよ」と願われていた私であったと知らされたことでした。
摂取して捨てない仏
昨年、お寺の本堂の屋根の葺き替えがありました。
明治の初期に建った本堂で、初めての本格的な屋根替えです。
屋根を全部めくりますので、ご本尊は隣の庫裏(くり)へ遷座することになりました。
それからは毎日のお朝事は、庫裏の仮本堂でのお参りです。
そうしましたら、身丈一尺五寸のご本尊なのですが、本堂のお宮殿(くうでん)にいらっしゃるときとはかなり様子が違って見えるのです。
数十センチしか離れていないものですから、阿弥陀さまのお顔がよく見えること見えること、なんとすてきなお顔をしていらっしゃるのかと、ほれぼれしたことでした。
ところがです。
毎日、阿弥陀さまのお顔が違うのです。
同じ阿弥陀さまの前でお参りしているのですから、違うはずはないのですが、どうしてか毎日お顔が変わるのです。
悲しそうなお顔をしていらっしゃるとき、にこにこ顔のとき、無理せんでいいよというような心配顔のときなど、さまざまなお顔に見えるのです。
<pclass="cap2">十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
(「浄土和讃」=註釈版聖典571頁)
摂取して捨てない仏さま、逃げていく者さえも追っていって取り込んでしまい、包み込んで下さるお方であるから、「アミダ」とお名前がついていて下さるのです。
私を取り込み、包み込んでいて下さったお方だからこそ、私のすべてをお見通しだったのです。
阿弥陀さまのお顔の様子は、そのまま私の心のありさまではなかったのかと思うのです。
連れ合いと喧嘩(けんか)した翌朝は、鬼の心になった私の姿に悲しそうなお顔をされていたり、子どもと一緒にお参りしているときには、喜ぶ私の心のままに、にこにこ顔をされていたのです。
阿弥陀さまの摂取のお心が、「手を合わせる子どもになってくれよ」との父の願いとなってこの私にはたらいて下さっていました。
心配で放っておけないから、いつでもどこでも、どんなことがあっても、決して捨てないと、この私を包み込んでく下さっているのです。
子どもを縁として、父の願いを知らせていただきました。
そして阿弥陀さまの決して私を捨てないという大きなはたらきに気付かせていただきました。
ずーっと昔から、阿弥陀さまに包まれていた私でした。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |