阿弥陀さまからよろこびをいただく みんなの法話
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阿弥陀さまからよろこびをいただく
本願寺新報2002(平成14)年9月1日号掲載
大阪・勝圓寺衆徒 戸川 教宏(きしい いちげん)
来さまはいやし系?
近年、「癒(いや)し」という言葉をよく聞くようになりました。
いやし系ペット、いやし系女優、いやし系音楽......きりがありません。
良い言葉だと思いますが、少し気になることがあります。
阿弥陀如来のお救いを、この「いやし系宗教」と考えたり、如来さまを「いやし系」にとらえることが時折見られるように思うからです。
でも、如来さまは「いやし系」なのでしょうか。
もう五年程前になりますが、あるお通夜にお参りしました。
友人のお連れ合い(夫)のお通夜でした。
友人夫婦は結婚して半月しか経っていませんでした。
棺桶に顔をつっこみ、泣き続けている彼女の姿は、見ている私たちにもつらく、私も含め一緒にお通夜に行った者で翌日お葬式にも出席できた者はいませんでした。
私についていえば、もし「この苦しみを忘れるにはどうしたらいいの?」と彼女に尋ねられたら、私には何も出来ないということだけがわかっていました。
だから行く勇気がなかったのです。
その後も、友人たちで何か励ますことはできないかと話していたものの、結局は一年後の年末に忘年会と称してささやかな食事会がやっとできたくらいでした。
その時からずっと私は二つのことを問い続けていました。
ひとつは「私には何も出来ないのか?」という私自身への問い。
そして「如来さまは友人をどのようにお救いになさるのか?」という如来さまへの問いでした。
それが先日、ある先生との問答で大切なことに気付くことができました。
お釈迦さまのみが可能
私は先生に「お釈迦さまが月愛三昧(がつあいざんまい)をなされたように、私も悩み苦しむ人のいやしとなるようなことをしたい。
本当のよろこびを教えてあげたい」と申しました。
「月愛三昧」とは、お釈迦さまが、苦悩の世界に迷うものをお救いになるはたらきを、月光の優しい輝きに喩(たと)えたものです。
お経には、「たとえば月の光がすべての路(みち)行く人の心に喜びをおこさせるようなものであります。
月愛三昧もまた同じです。
さとりへの道を修めるものの心に喜びをおこさせます。
(中略)あらゆる善の中でもっともすぐれたものであり、甘露の味わいであり、すべての衆生が願い求めるものであります。
だからまた、月愛三昧というのです」(現代語版『教行信証』285頁)とあります。
ところが、先生は「月愛三昧は、お釈迦さまのみがなされ、お釈迦さまのみが可能な行いです」とおっしゃいました。
単純なやりとりでしたが、実は私の心にずっとあった疑問が取り除かれたように感じたのです。
私は「月愛三昧こそが」と思い、月愛三昧によって仏さまからいただくよろこびを、私の浅い知識の中で探していました。
仏さまのいわれるよろこびと、私の自分勝手な思いから生まれるよろこびを、同じように考えていたのです。
中国の道綽禅師は、阿弥陀如来の教えこそ真実であるとして、二つの理由を教えて下さいました。
それは「お釈迦さまご在世の時代より遙かに時が過ぎていること」と、「すべての苦悩から解放され、さとりのよろこびを得る仏法の理(ことわり)は、あまりにも深く、これに対してこの私はあまりにも愚かであること」でした。
にもかかわらず、知らず知らずに私は、ずっとこの二つを逆に求めていたようです。
それは本願のはたらき
道綽さまに教えられたことは、ある意味で悲しいことです。
私たちは現実に目に見え肌に感じるような「いやし」を求めています。
そしてそれは「いやし系○○」などとしてこの世界に数多く存在します。
しかしそれは、かつてお釈迦さまがなされた真実の救いとはほど遠いものでしょう。
なぜなら、そもそも私たちは、真実のよろこびそのものが何であるのか、たとえ隣りに用意されていても、自分自身の力では知ることができないのです。
私は一瞬愕然(がくぜん)としましたが、おかげさまで阿弥陀如来の尊いお心に気付かせていただけました。
それは「迷い苦しむ者の心によろこびを起こさせる」という如来さまのご本願のはたらきです。
私の身勝手な願いを満足させる、いわゆる「いやし系○○」とはまったく違う如来さまの「大慈悲」のお心でした。
阿弥陀如来は、この私の身に、心に、よろこぶことを与えるとお誓い下さいます。
私たちは、「いやし系○○」によってよろこびを求めています。
しかしそれは一瞬のよろこびであって、私の根本からのよろこびでないように思います。
これに対して、如来さまのいわれるよろこびとは、真実のよろこびです。
それはこの私の苦悩を見ぬかれた如来さまのみがご存じで、自分自身の本当の姿を知らない私たちにはわからないことなのです。
だから如来さまは、そのよろこびを、「私(如来さま)から与える」とお誓い下さったのでした。
私はこの如来さまの大慈悲のおはたらきの深いことに感謝せずにはおられません。
自分自身でも見つけることのできなよろこびを、如来さまはご用意して下さっているのです。
えっ?それでも癒してほしいですか? ご一緒に聞法いたしましょう!
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |