長寿で健康が一番!? みんなの法話
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長寿で健康が一番!?
本願寺新報2005(平成17)年1月20日号掲載
富山・常尊寺衆徒 段證 武邦(だんしょう たけくに)
問題の解決を先延ばし
昨年の九月のことです。
「敬老の日」にちなんでのことと思うのですが、あるテレビ番組で、いつまでも元気で若々しく活躍しているお年寄りの特集がありました。
ところが、それをご覧になったある先生が、「老いの問題を先延ばしにしているようだ」と指摘されたのでした。
「お年寄りが元気で活躍されているというのは素晴らしいことじゃないか」という声が、どこからか聞こえてきそうですが、みなさんはいかがでしょうか。
「長寿」「健康」―それは確かに現代社会の大切なキーワードといえそうですが、それだけでは解決しない、もっと深い重要な問題が人生にあることを、その先生は指摘されたのでしょう。
実は私も、ご門徒のお宅へお参りした時など、健康や長生きについてのお話をうかがったりします。
例えば、「若さん、人生は健康が一番。
体さえ丈夫なら少々のことは...」とか、あるいは「人間は趣味を持たなくては。
いくら長生きしても、趣味や生きがいがないとね...」といった具合です。
それを聞いて、まだまだ青年でいるつもりの私も、年を重ねていくとやはりそんなものかなあと思ったりもします。
昨年の夏のことですが、まずは「健康第一」と、夏バテを防ぐために健康ドリンクでもあるジュースを愛飲していました。
ところが、その商品の値段が高くて、飲み続けることができなくなりました。
私はそのとき、間違っていたと思いました。
健康に気を配ることは必要ですし、大切なことです。
しかし、それのみに執(と)らわれてしまっては、他のさまざまな大切なことを見失ってしまうのではと思ったからです。
それは「先延ばしにしている」という先生の指摘にも通じることだと思います。
「先延ばし」という指摘の意味するところは、お釈迦さまの出家の動機となった、有名な「四門出遊」の物語に示されています。
逃れられない老・病・死
お釈迦さまがまだ王子だった頃、城外へ出遊されようとして、東の門から出ると老人に出会い、「今は私も若いが、やがて必ず老いる」と老いの問題に悩み戻られます。
次に南の門から出ると病人に会い、同様に悩み戻られ、西の門では葬列に遭(あ)われて死の問題に悩まれます。
そして北の門で修行者に出会われ、やがて老病死の問題の解決のため出家されたということです。
高齢化社会といわれて久しい今日、長寿と健康が人々の大きな願いの一つとなっています。
しかし、それがこの私の人生の上に叶(かな)えられたとしても、お釈迦さまが苦悩された老・病・死の根本的問題の解決には至りません。
命あるものなら、だれもこれから逃げることができないのです。
テレビ番組でお年寄りが元気に活躍されていた、そのこと自体に問題があるわけではないのです。
健康で長生きできさえすればそれでいいと、人生の表面的な幸福に執らわれて、老病死の根本的解決を求めようとしないことが「先延ばし」だと、その先生は指摘されているのです。
先生はさらに続けて「往生浄土の道とは、生老病死の解決です。
ありがとうございます、おかげさまで生かされています、という世界に気付くことが大事ではないでしょうか」と話されました。
<pclass="cap2">生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓(ぐぜい)のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
(註釈版聖典579頁)
および声にであう人生
先生がおっしゃった「往生浄土の道」とは、言うまでもなく親鸞聖人がお開きくださった浄土真宗、すなわち他力安心の念仏成仏のみ教えです。
阿弥陀さまは、生老病死という深い深い闇の海に沈んでいることさえ気付かないこの私に、南無阿弥陀仏という大きな船をご用意下さり、必ずさとりの岸へ救いとるとよび続けておられます。
そのよび声に出遇(あ)い、生かされていることに「ありがとうございます」といえる人生を共に歩んでまいりましょう。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |