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証明してほしい?! みんなの法話

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証明してほしい?!
本願寺新報2008(平成20)年12月20日号掲載山口・専宗寺住職 御手洗 賢成(みたらい けんじょう)
ハラハラドキドキの駅伝
 私は近年、お正月が近づくと思うことがあります。
それは箱根駅伝のことです。
気の抜けない長時間のハラハラドキドキの展開に、選手、家族、関係者の心配をよそに面白みを隠すことができないのです。
ここで、必ず思うのが、「往路」という言葉です。
往路とは、いくみちのことです。
しかも、必ずといっていいほど「浄土往生」という言葉を連想してしまうのです。
 それは、浄土へはとてもまいることのできないこの私が、阿弥陀さまの本願力によって往(い)かせていただき、生まれさせていただけるこの身の上である、と聞かせていただいているからです。
あるご法事の席で、50代半ばの方から次のような質問を受けました。
 「ご住職にちょっとお聞きしたのですが、いいですか」 「どうぞ」と申し上げると、「先ほどご住職が、必ずお浄土にまいらせていただく教えだといわれましたが、どうも私には合点がいきません。
できましたら、科学的にといいましょうか、本当にお浄土があるのかどうかを、私にわかるように証明していただくと有り難いのですが」と言われたのです。

「信頼」や「友情」は・・・
 その言葉を聞いた途端、私の心はこわばってしまいました。
というのも、最近の私の心の中に、ご門徒にどれほど寄り添い、一緒に問い聞くこの私であるかという思いが絶えず去来するからです。
その方の生活風景を想像し、その方でしかない感じ方・見方にどれほど寄り添えているのだろうかと...。
 そこで、投げかけられた問いをもう一度そのままお返しする形で「お浄土があるかないかをできたら証明してほしいということですね」と言いました。
 すると、「そうです」と答えられましたので、「あなたはどのような仕事をなさっているのですか」と聞きますと、「自動車販売のセールスマンです」と言われました。
 私は「さまざまなお客さんがおられ、日々の生活必需品を買うような安価な買い物ではない特別な買い物をしていただくなかなか骨の折れる仕事ですね」さらに「それでは、お客さんがその車を購入されようとした時、近隣にある同様の販売店ではなく、どうしてあなたの販売店で購入されるのでしょうか」と、お聞きしました。
 すぐさま「そりゃあ、こう言っちゃ何ですが、長年の私に対する信頼ですかね。
信用ですよ」と言われました。
 「ああそうですね、最後はメンテンスのことなど、その場限りではない後々の面倒見のよさを見込まれての信用ですよね」 「そこで、つかぬ事を申し上げるのですが、その信用というものを何らかの形で証明していただくことはできないでしょうか」と申し上げました。
すると、その方は唇(くちびる)に指をあてられ困惑気味の表情をされていました。

受け入れられるお育てが
 私たちが生きているこの娑婆(しゃば)世界は、目に見えるものと目に見えないものとの混濁(こんだく)の中にあります。
小学校も高学年になってくると、それまでの親との深い関係だけでなく、友達、そして親友とよべる人間関係へ発展し、「友情」という感情が芽生えるなど、目に見えぬ世界を体験します。
ちょうど側にいた中学生に「何か、物を持ってこれが友情だと言えるものはないでしょう」と問いかけると、うなずいてくれました。
私たちは、科学という物差しで推(お)し量(はか)ることのできる世の中に生きています。
同時に、推し量れぬ「友情」や「信頼」、あるいは「愛情」という世界にも生きています。
 ある・ない、わかる・わからないという二者択一的な相手の心を聴き抜き、「ある・ないを超越した、受け入れていく、受け入れていける」お育てを、ご縁あるすべての皆さんと対話できる私でありたいと願うばかりです。
「信じるということは、人が言われたことを受け入れていく姿」だと私は思います。
生きて帰る家があるように、死してかえれる世界があるのは素晴らしいことです。
それを無理に信じようとしなくていいですよ。
「そうだよな」と思われた時が、受け入れておられるあなたなのです。
なんまんだぶ、なんまんだぶ...とお念仏がその疑念に応えてくれるはずです。
出来ましたらお浄土でお会いし、このことをお話しできればいいですね。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/