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親ごころ みんなの法話

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親ごころ
本願寺新報2003(平成15)年4月10日号掲載
布教使 長岡 正信(ながおか しょうしん)
思いうかぶ母のすがた

私の暮らしております安芸の地では、昔から阿弥陀さまを「親さま」とよばせていただき、そのお心を親心といただいてまいりました。
そのいわれについてさまざまに味わいますたび、私は必ず母の姿を思い出すのです。

それは、ある冬の朝の話です。
その日の前日、あるお寺より電話がありました。
それは、明日朝から始まるご法座に来て下さるはずのご講師が急に入院されたので、代わりに私に来てくれないかというものでした。
そこで、「私でよければ」と出ていくこととなったのです。

そこのお寺は、朝八時から勤行が始まりますので、それに間に合うためには、遅くともわが家を朝五時前には出ていかねばなりません。
ですから、朝から仕度をしていては遅くなるし、また、その当時、母が大病を患い寝込んでおりましたので、朝からドタバタして起こしてしまわないようにと思い、荷物は全部夜の間に車に入れ込んで、母には何も告げずに出て行く算段でいました。

当日朝四時半頃、ひとり駐車場へ向かいますと、すでにそこだけ明かりが灯(とも)っており、人影がゆれているのが見えます。
恐る恐る近づいてゆくと、なんとそれは寒さに身を切る母の姿でした。

泣かせることばかり
思わず「何してるの」と声を出しますと、「おう来たか。
恐らくお前のことだから、何も言わずに出て行くつもりでいたのだろうが、人はいつ、どこで、何があるかわからない。
特に今の私は、本当に何があってもおかしくない。
だから今日お前の顔を見てなかったら、もう二度と見られないかもしれないと思ってね」と言うのです。

けれども私は母の身体の方が心配なものですから、「それはわかったから、もうすぐに休んでくれ」と母の背中を押しますと、「こっちの心配はするな。
お前が行けば私も帰る。
だから早く行け」と反対に私の背中を押すのです。
そこで、「それでは行くけど、すぐに休むんだよ」と車に乗り込み出発したのです。

しかし、母は本当に帰っていったのかと心配になり、すぐに車のバックミラーをのぞき込みました。
すると、そこには家へと向かう母の姿ではなく、こちらに向かって合掌し、そのまま深々と頭を下げてずっと見送ってくれている母の姿が映っていたのです。
その姿を見た時、何とも言えず胸がただ熱くなり、涙がこぼれそうになりました。

振り返ってみると、今までただの一度も母に対し手を合わせたことも頭を下げたこともないのです。
それどころか、子どもの頃から病気の連続で、大きくなれば口ごたえばかりをして、とにかく心配させ、泣かせることばかりであったのです。

そんな私に母は合掌し、頭を下げてくれているのです。
しかも、今は病気のために動くのさえもしんどいはずなのに、ただ私を想(おも)う一念の中で見送ってくれているのです。

この母の姿に、それほどまでに私を大事に育んでくれていたのか、そこまで願われている命が今まさにここにあったのかと、心底痛感させられた時、本当にそこで初めて母に対し手が合い、頭が下がったのでした。

常に願われ抱かれて
「六字の心」(作者不詳)という歌があります。

<pclass="cap2">南無阿弥陀仏の御心は
もったいなくも親様が
助けさせよと手を下げて
たのませたもうのお慈悲なり

まさに私たちが親さまといただいてきたのは、この南無阿弥陀仏こそ、私たちより先立って仏自らが手を合わし、頭を下げてまでも、「仏にする」と抱いて下さっていたそのみ心の姿そのものであったからに他ありません。

ならばここにお念仏申していく時、わが命はただ泣いて愚痴まみれのまま終わっていく命ではなかった、常に願われ、抱かれた尊き命であったと気付かされるのです。
まさに阿弥陀さまと二人づれの人生であったと、一人では越えられなかった逆境さえも越えさせていただくことができるのです。

「親心」―なんと深い響きでありましょうか。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/