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背負われて生かされている私 みんなの法話

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背負われて生かされている私
本願寺新報2001(平成13)年11月1日号掲載
正木 隆真(まさき りゅうしん)(佐賀・善覚寺住職)
本当の幸せとは

え.秋元裕美子
現代は「物に富んで心に病む時代」といわれています。
物質的には大変豊かで便利な毎日を送っていますが、また一方で凶悪な犯罪や悲しい事件が後を絶たないのも事実です。
何の不自由もなく豊かな生活をさせていただいても、さまざまな悩みが尽きないのはどうしてでしょうか。
表面的な豊かさとは逆に、人々の心はまるで荒廃の一途をたどっているかのようです。
人間にとって本当の幸せとは一体何なのでしょうか。

私たちはややもすると「自分一人の力で生きているのだ」と勘違いをしてしまいがちです。
また「誰にも迷惑はかけていない」とか「人に迷惑をかけるな!」などという言葉を時々耳にします。
しかし、実際にはさまざまな人のお世話になり、多少の迷惑もかけなければ生きることができないというのが、私自身の事実です。
これまでもこれからも、あらゆるご恩の中でしか生きることができないのです。

毎日の食事を通して考えても、穀物や動物などのあらゆる命が私の命となって支えていて下さるのです。
一分一秒たりとも自分だけの力で生きたことは無かったはずです。
そして「あなたのいのちは我がいのち」と、私を悲しいまでに願い続け、喚(よ)び続けていて下さる仏さまがいらっしゃいます。
つまり、私という存在は「支えづめに支えられ、願いづめに願われている」という事に気付かせて下さるのが仏さまの智慧であり、その智慧に遇(あ)う者は本当に喜ぶべきもの、本当に尊いものを知らされて、潤いのあるあたたかい生活をさせていただくのです。

これまで私の人生は私自身が背負っていると思っていましたが、むしろ背負われて生かされているのが私の本当の姿だったのです。
この事こそ本当に尊ぶべき事であり、順境の時も、逆境の時も人生を根底から支えて下さる喜びとなって下さるのです。

「荷負群生(かぶぐんじょう)(あなたを背負っているのだよ)」(注釈版聖典7頁)という、命もろとも仏さまに背負われている私だったのです。

幼き日の母の姿
私事で恐縮ですが、幼い日の思い出を通して、この事を味わわせていただきたいと思います。

私の父は、四十二歳という若さで往生いたしました。
その父に替わって住職になった母に、女手一つで育てていただきました。
思えば幼い頃から父の居ない家庭の苦労を目にするにつけ、子ども心に自分の人生は不幸だと思っておりました。
そして、その間幾度となく辛い思いや寂しい思いをいたしました。

今でこそ毎日、車で法務に回らせていただきますが、当時の母は歩いてご門徒宅を回っていたようで、忙しい日には早朝から夕刻まで丸一日かけて法務を勤めていたようです。
その間、私の面倒を見ていてくれたのが三つ年上の姉でした。
詳しいことは忘れましたが、何かの理由で私がぐずって泣きやまなかった時のことです。
困った姉が、本堂の正面の階段に私を座らせて、背中をさすってくれていたのです。
どのくらい二人で座って待っていたでしょう。
やっと母が帰ってきました。
そのとき母は、二人の姿を見るやいなや、涙を拭いながら「ごめんね、寂しい思いをさせて...」と二人のもとへかけよってくれました。

今になって改めて思いますと、親とは何と尊い存在であったかと、頭の下がる思いがいたします。
ここに、頼まれもせず、お礼も言わないのに、我が子を背負わずに居られないという、親の姿が有りました。
自分一人が味わっていると思っていた寂しさや辛さ、それをすべて含めて背負うて下さる世界が有ったことに気付かせていただくとき、この事を通して阿弥陀さまのお慈悲を慶(よろこ)ばずにはおられないのです。

私も仏とは成るまい
阿弥陀さまは「自他一如(あなたのいのちは我がいのち)」「衆生苦悩我苦悩(あなたの苦しみは我が苦しみ)」のお心をもって、迷いの通しの私を見捨てることができず、「我にまかせよ必ず救う」というご本願をお建て下さいました。
しかも「もし救うことができなかったら、私も覚(さと)りの仏とは成るまい」と、自身の覚りを賭けて、お誓い下さっているのです。

「救ってやるぞ」ではなく「お願いだから救われてくれよ」という悲しいまでの喚び声が、南無阿弥陀仏のお名号なのです。

今まさに、阿弥陀さまに背負われ、あらゆるいのちに支えられている我が身を慶ばせていただくより他に、本当の幸せはあり得ないことを味わわせていただくのです。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/