聞きあうことの大切さ みんなの法話
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聞きあうことの大切さ
本願寺新報2005(平成17)年11月1日号掲載
山口・浄土寺住職 荻 隆宣(おぎ りゅうせん)
傷つけあうのはなぜ?
「♪傷つけあうためじゃなく、僕らは出会ったって言い切れるかな」(桜井和寿作詞「and I love you」)
世界平和への願いをテーマにした、カップ麺のテレビCMの中に出てくる曲のこの一節が、このところずっと私の耳に残って離れません。
そのCMの中では、アフガニスタン難民の子どもたちの素敵な笑顔が映し出されます。
その笑顔がまばゆいだけに、その子たちの背負っている重く厳しい現実が、画面を通して知らされてくるようです。
小学二年になる私の息子が、学校で「テロ」について学んだと教えてくれました。
ニュースで頻繁に繰り返される「自爆テロ」という言葉の意味を知って、「どうして自分のいのちと人のいのちを、同時に傷つけてしまうの」と私に問いかけてきました。
一緒に考えるべき大切な問いだと思いました。
また、お寺の日曜学校でこんなことがありました。
ある男の子が私の言うことを聞かなくて、しかったことがあります。
その時、彼はこぶしを振り上げて「報復攻撃じゃ」と泣きながら私に向かってきました。
テレビではイラク戦争の様子がリアルタイムで放送されている頃のことです。
しかって申し訳なかったと思うと同時に、私たちは知らず知らずのうちに「報復攻撃=やられたらやりかえす」ということを、子どもたちに植え付けていることが知らされました。
また、しかって突き放すのではなく、じっと聞いて繋(つな)がっていくことが大切だとも教えられました。
子の怒りを黙って聞く
私がまだ小さかった頃、よく遊びに行くお家がありました。
ある日、いつものように「ごめんください」と大きな声で入っていくと、そこでは、五十歳ぐらいだったでしょうか、息子さんが七十過ぎのお母さんをひどく怒っている真っ最中でした。
息子さんはお母さんが「余計なことをした」と言って、容赦なくやり込めていました。
怒っているというよりも、怒鳴っているという感じです。
でもそのお母さんはじっと黙って、息子さんの言うことを聞いていました。
やがて息子さんの怒りも最高潮に達して、最後に「わかったか」とお母さんに大声で言い放ちます。
私は「どうやって反撃するんだろう」と思っていると、そのお母さんはこう言います。
「すまんが今の話をもう一回してくれんか」と。
息子さんはその答えにあっけにとられたのか、しばらくの沈黙のあと「もういいよ、ごめん」と、その場を離れていかれました。
すぐにそのお母さんは私の方を振り向いて「よう来たね」と笑顔で迎えてくれました。
そして独り言のように「何があんなに苦しんだろうかね」と、ひと粒の涙とともに悲しそうにつぶやかれたのです。
共にささえあう世界へ
じっと黙って息子さんの怒りを聞いていたそのお母さんの姿は、「そこまで怒らなければならない苦しみを、この子は抱えているのだな。
この子の苦しみはどこから来ているのだろう。
この子の痛みは何だろう」と聞いていらっしゃった姿だったのです。
「やられたらやり返す」のではなく、相手の怒りを苦しみと聞き、繋がりあっていく世界を教えてくださっています。
私の苦しみを知り抜いて、私と共に悲しみ、喜んでくださるのが阿弥陀如来という仏さまです。
苦しみを抱えながら生きているすべてのいのちを、尊いいのちと目覚めさせ、必ず光輝く世界へ生まれさせたいと願われている仏さまです。
私たちは皆、優しさやぬくもりを求めているはずです。
なのに現実はどうしてこうも傷つけあったりするのでしょうか。
そうした現実を他人事ではなく、私の問題として向きあってみたいと思います。
傷つけあうことよりも、お互いの苦しみを聞きあい、あらゆる違いを超えて繋がりあい、支えあっていくことの大切さを、阿弥陀さまの願いを通して、考えさせていただきました。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |