操作

私という時計 みんなの法話

提供: Book


私という時計
本願寺新報2003(平成15)年6月10日号掲載
東京・敬覚寺副住職 大江 宏玄(おおえ こうげん)
時間に追われる現代人
新聞のテレビ欄を見ると、驚くほど細かく番組が区切られています。
よく考えてみると、私たちの生活のなかには〝時間〟がひしめき合っています。
時計の起源をたずねれば、紀元前ギリシャの日時計であるグノモンが有名ですね。
日本では水時計、また機械時計としては徳川家康愛用の置き時計が現存する最も古いものなのでしょう。
しかし、その当時の時計は今ほど正確ではありませんでした。

時計が飛躍的進歩をとげ、私たちの身近なものになったのは戦後のことです。
それまで多くの人は、お寺の鐘をたよりに目覚め、お参りをし、仕事に出かけ、昼の鐘で食事をし、夕暮れの鐘で家に帰るといった具合に、お寺を生活の一部として一日一日を過ごしていました。


次第に時計は進歩を重ねていきます。
お寺の鐘の音は雑踏の中でかき消され、今では誰もが時計を手にし、自分の時間を気にしながら暮らしています。
ところが時間というのは、なかなか不確かなようです。
というのは、実際私たちが目にする時間はパリで決められているのです。
何十台かの原子時計を使い、全世界から時間を集め平均値を定め、ある程度誤差のないところで決めているのです。
つまり時計というのは、現代どんなに進歩しても全くひとりでには正確な時を刻めないのが現状なのです。

知らぬまにズレが...
昭和二十六年まで、ある放送局では振り子時計を使っていました。
放送局ですから時間にはかなり敏感なはずです。
振り子時計では必ず誤差がでてしまいます。
ではどのようにして正確な時を刻むことができたのでしょうか。

「時計のおもり」といわれる人がいたのです。
時計の振り子には天秤のような受け皿があり、時間が早く進みすぎるとオモリを乗せ、また時間が遅れるとオモリをはずし、ひと時も目を離すことなく振り子を調節してくれる人がいてこその時間だったのです。

私たちは、いわば、時計のような存在かもしれません。
知らず知らずのうちに早く進んでいたり、遅れていたり...。
自分自身、正確な時を刻んでいるつもりが大きな誤差をうんでいるものなのです。
誰かに見まもってもらわないと勝手につき進んでしまう存在なのかもしれません。
私たちはこの世に生を受け、死という瞬間まで人生の文字盤の上を「老い」や「病」に苦しみながら、鼓動という秒針を毎日絶やすことなく一生懸命に動かし、生き続けています。

しかし「私こそ正確な時計だ」と過信しながら振り子を動かし、生活しているのが現実ではないでしょうか。
その「私という時計」が知らず知らずのうちにズレてしまうことを知らしめてくれるのが、仏教であり、阿弥陀さまの救いのはたらきなのです。

大きく見方がかわる
阿弥陀さまは「自分の時計を阿弥陀という時計に合わして生きていけよ」とは言われません。
自分勝手な時を刻んで生きている私の本当のすがたを知らしめ、そのまま見捨てることなく「摂(おさ)め取って捨てない」とよび続けていて下さるのです。

「私という時計」は、常に見られていないとすぐにズレる何のあてにもならない時計であったのです。
「私という時計」のズレが知らしめられるとき、自分の力で正しい時を刻んで生きているつもりが、実はさまざまな縁によって「生かされていた」「おかげさまであった」と見方が大きくかわるのです。
私の時計こそ正確であると思っていたのが、私の時計こそズレている時計になるのです。
自分中心の時の流れから、仏さまを中心とする時の流れに大きく見方がかわるのです。

言い換えれば、阿弥陀さまが私を決して見捨てず、常に照らしつづける仏であるといただくとき、阿弥陀さまをいのちの依りどころとして日々生活できるのです。

南無阿弥陀仏の救いは、時間と空間を超え、私たちに今、「気付いておくれ」とよび続けておられます。
生活のどこにでもそのはたらきは途絶えることなく、「私という時計」の本当のすがたを常に照らしていて下さるのです。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/