無常のなかで〝こんにちは〟 みんなの法話
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無常のなかで〝こんにちは〟
本願寺新報2001(平成13)年11月20日号掲載
入江 唯信(いりえ ゆいしん)大阪・浄教寺住職
還暦の会
え.秋元裕美子
本当にいつの間に、と思えるほどの早さで今年、還暦を迎えました。
これは生きていれば誰しも体験することですが、一種独特の感情が通過しました。
これからはいよいよ、お年寄りの仲間入りなんだなーという実感と同時に、妙な面映(おもは)ゆさ。
そういう思いの時、私の子どもたち三人が話し合いをして、「お父さんの還暦を祝う会」を開いてくれました。
第一部は写真スタジオにて家族全員での記念撮影、第二部はレストランでのお祝いの食事会でした。
そこでまず写真館へ着くと娘が「写真屋さん、お願いしてあった〝あれ〟お願いします」と言いました。
それを聞いた私は〝ひょっとしたら〟という不安が心をよぎりました。
すると奥から赤いちゃんちゃんこと赤頭巾(ずきん)を出してきました。
〝やっぱり、でもまあ仕方ないか〟と観念しかけたその時、思いもよらぬ言葉を耳にしました。
それはどこから見ても私より十歳くらいは年上の写真屋さんが、「さあ、おじいさん、まん中のこのイスに座って下さい」と。
私はその時〝あんたのほうがよっぽどおじいさんやないか。
よくも若い若い私に対しておじいさんと言ったなー〟と心で思い、ふくれかけました。
すると娘がすかさず「お父さん、今日は私ら子どもたちがこの会の主催者なの。
お願いやから黙って言われたとおりにして」と言いましたので、これには私も逆らえず、自分では一番可愛らしいつもりの笑顔となって、無事に記念撮影が終わりました。
その時、私のこの感情っていったい何だったのだろうか、と思いました。
もう四十五年前になりますが、山村総さん主演の「四十八歳の抵抗」という映画がありました。
私はこの映画を知った時、変な題名だなーと思いました。
四十八歳なんて中途半端。
何で五十歳にしなかったのかなーと。
けれども、この微妙な年齢こそ大事だったのです。
もうそう若くはないし、そうかといってまだまだ年寄りでもない。
ここにこそメランコリックな心境としての作者のモチーフがあったのでしょう。
今の私がひょっとしたらこれなのかも知れない。
十歳くらいは遅いけど...。
でも、時は今も、これからも、刻一刻と休まずきざんでいきます。
私たちは今まさに諸行無常の中で生きているのです。
だからこそ蓮如上人が御文章(三首の詠歌章)の中で「ただいたづらに明かし、いたづらに暮して、老(おい)の白髪(しらが)となりはてぬる身のありさまこそかなしけれ...」(註釈版聖典1666頁)と日常生活のあり様をお示し下さいました。
そうならないように、これからは〝おじいさん〟と言われたら、一番よい笑顔でこたえようと思います。
〝ありがとう、今日一日生かされて、ありがとう〟と。
機法一体のお名号
大阪北御堂・津村別院では毎週、土曜講座や日曜講演などの法座が開かれています。
私も年に何回か出講させていただいておりますが、ある年の土曜講座でした。
前席が終わって講師控え室でお茶をいただいておりますと、一人のおばあさんが入ってこられました。
そしていきなり、「先生、今日はわたしの一番大切なものをあげる」と。
私はその時、何事かと思いました。
すると、首に引っかけてあったひもを上へ上へとたぐりよせ、胸にあった巾着(きんちゃく)袋を取り出しました。
そしてその巾着袋から出したものは何とまあ、津村別院が出している三つ折りの一ヵ月間の法座案内でした。
そのパンフレットをさらに半分に折ったものを私に出して「これあげる。
それから後席は、機法一体の話して」と言って、さっさと控え室から出ていかれました。
私は本当にあっけにとられました。
失礼ながらこんな法座案内、一階のロビーには何百枚と置いてあるのに...と思いながら、何気なしにその法座案内を開いてみました。
するとまだ、なま暖かい千円札が入っていました。
おばあさんの胸の中でずっと暖められたものでした。
その一瞬、私は身も心も凍る思いがしました。
〝おばあさん、ごめんなさい。
表面だけで判断した私が恥かしい。
あなたのこのぬくもりのある千円札は、一万円にも十万円にも値する。
いや、金額にはとうてい代え難い尊く重い千円札。
ありがとう、後席はアミダさまの尊いみ教え、機法一体について、私の口を通してではありますが、共々にご聴聞させていただきましょうね〟と。
やがて総会所で「機法一体の機とは、私たち衆生のこと。
法とはアミダ如来のこと。
この救いの法と救われる機とが名号(南無阿弥陀仏)の中に同時に成就されているので、弥陀をたのむ一念に衆生がそのまま救われていくのです」といった内容をも含めて、いろいろなお話をさせていただきました。
千円札もうれしかったけど、おばあさんの機法一体の贈りものこそが私にとってはとても有り難く、今でも心に滲(し)みる思い出として残っています。
私たちは今まちがいなく無常のなかで生きています。
でも、尊いお念仏に遇(あ)わせていただきました。
無常のなかで〝お念仏さん、こんにちは〟。
そのことが、とってもうれしい今日この頃なのです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |