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毎日がスペシャル みんなの法話

提供: Book


毎日がスペシャル
本願寺新報2008(平成20)年4月20日号掲載
布教使 朝枝 照見(あさえだ しょうけん)
日記つけていつも感謝

友人のおばあさんは、毎月お参りに来られるお坊さんの声に続いて、少し遅れながらも懸命に声を出しておつとめをされる、純朴でご法義を大事にされた方でした。
昨年、友人からの電話で、そのおばあさんが亡くなられたことを知りました。
九十九歳でした。

葬儀を終え、おばあさんの部屋を片付けていると、段ボール箱三つ分ぐらいのノートが出てきたそうです。
おばあさんの日記でした。
三十年も前からの日記で、友人の記憶に無い幼い頃のことなども書かれていました。
朝から洗い物をしたとか、孫(友人)が外で遊んでいるなど、何気ない日常の記録でした。

友人はその何気ない毎日の最後に、必ず書かれているひと言に驚いたそうです。
「今日も一日ありがとうございました」「今日も一日達者で暮らさせていただきました。
ありがとうございました」と書かれていたのです。

日記には特別なことは書かれていませんでした。
何気ない一日が書かれ、ただ最後に「ありがとう」と書かれているだけでした。

ところで、昨年の七月十六日に起こった新潟県中越沖地震は、まだまだ記憶に新しいことと思います。
その様子は連日報道され、各地の被害状況が伝えられていました。
私は今でも、その時のある報道番組を忘れることができません。

全てを失いかけた時に
そこには、ぼう然と我が家を眺めるご家族の姿が映し出されていました。
そのご家族は、両親と二十歳前後の娘さん二人の四人家族でした。
映し出されたその家は、見た目には問題は無さそうでしたが、倒壊の恐れがあり家に入ってはいけないという張り紙がしてありました。

その後、少しの間だけ入れる時間が持てたのです。
お父さんは大事なものを取り出すため一人で家に入っていかれました。
真っ先に一階の車庫にある車を出されます。
車が無事に出た時、娘さんは「お父さんは車が大好きだったから車だけでも助かってよかった」と涙ながらに話されていました。

お父さんは車を降りてまた急いで家に戻られます。
今度は二階へ上がり、小さな窓から次々に物を投げ出されました。
ポーンと宙に投げ出されたものを、下にいた娘さんが受けとめました。

一番初めに娘さんの胸にぎゅっと抱かれていたものはアルバムでした。
娘さんの幼い頃を写した家族のアルバムです。

最後にお母さんが「大事なものがなんだったか気付かされました」とインタビューに答えられ、このニュースは終わりました。

私は「大事なものがなんだったか気付かされました」という言葉が心に深く残りました。

何もかも失ってしまうかもしれないということを目の当たりにして、気付かされた大事なものは家族だったのだと思います。

いつも一緒にいるから気付かないことがある、いつも当たり前にあるから気付かないことがあるのだと、お母さんの言葉に感じさせられました。

空しく過ぎない人生に
親鸞聖人のご和讃に、「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし」(註釈版聖典580ページ)とあります。

阿弥陀さまのみ教えに出遇(あ)ったとき、むなしい人生ではなくなっていくのだといわれるのです。
むなしくなくなるとは、「当たり前であるということが当たり前でないと気付かされ、当たり前であったことが当たり前ではなかったのだと気付かされる」ことなのではないでしょうか。

友人のおばあさんの日記の最後には必ず「ありがとう」と書いてありました。

その日記には、特別なことは何も書いてありませんでした。
「朝から洗い物をしました」と、わざわざ書く必要のない何気ないことが書かれていました。

しかし、何気ない一日をありがとうと言えるおばあさんにとって、一日のどんなところを切り取っても「当たり前ではない」と思っておられたのだと思います。

日記には特別なことは何も書かれていませんでした。
しかし、実は全部、特別なことだったのかもしれません。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/