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死んだらどうなるの みんなの法話

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死んだらどうなるの
本願寺新報2003(平成15)年2月10日号掲載
神奈川・来恩寺住職 橋本 正信(はしもと しょうしん)
阿弥陀経の「倶会一処」

「倶会一処(くえいっしょ)」という言葉があります。
『仏説阿弥陀経』の中に出てくる言葉で、「ともに同じところに集う」という意味です。
最近この言葉の素晴らしさがわかってきたような気がいたします。

私が住職を務める来恩寺は、2000年8月に宗教法人として認められた、まだまだ新しいお寺です。
最初は築地本願寺湘南布教所として1991年8月に開設され、四ヵ月後には毎月の法話会を開始し、二年後には『歎異抄』などのお聖教(しょうぎょう)をみんなで話し合いながら学ぶ法座が、そして二年前からは、迷信や身近な社会問題などを話し合う法座が毎月開かれています。
話し合い法座はどちらも門信徒からの要望で開かれているものです。

ある日のお聖教を学ぶ話し合い法座でのことです。
Aさんという男性が「私のような者でもお浄土へ参られるでしょうか」と質問されました。

私が「私のお浄土参りは阿弥陀さまの仕事で、私たちが自分の心持ちを考えて思い悩む必要はないと聞いております。
阿弥陀如来は必ずお浄土に連れてかえるとおっしゃっていますので、心配する必要はないと思いますよ」とお話しすると、「どうも私はお浄土には参れないような気がするのですが...」と、また話されます。

私が「Aさんがお浄土に参れなければ、私たち全員もお浄土に参れないのと同じです。
ひょっとして地獄で『やあ、あなたもここでしたか』と再会するようなことがあっても私を恨まないで下さいよ」と笑いながら話すと、一同が「それも仕方ないか」という顔で大笑いいたしました。

生死(しょうじ)を超えた連帯感とでもいうのでしょうか、私は「これも倶会一処の世界かな」と、うれしく思いました。

住職さんに来てほしい
また、来恩寺が所属する鎌倉組の仏教壮年会では、各寺院連絡員の集まりが毎月開かれています。
「住職方は何かと多用ですから各寺の門信徒代表で研修会などの企画から募集・開催までを行ってみよう」と四年前から開かれている会です。

その会にいつも参加の方が、ここしばらく欠席され、また復帰された時、「がんで入院・手術しましたが、おかげさまで無事生還しました。
この度のご縁で私には浄土真宗しかないと身に染みて味わわせていただきました」と報告され、「将来、ひょっとしてみんなが入るかも知れない浄土真宗のビハーラ病棟を建てようよ」という話で大いに盛り上がりました。
死の問題を避けることなく、みんなでワイワイガヤガヤと話し合える仲間がいる。
これもまた「倶会一処の世界では」と感じたことでした。

また、お寺におりますといろんな相談を受けますが、末期がんの方とお話をすることもたびたびあります。

毎月発行している寺報に私の所属している「東京ビハーラ」の記事を載せている関係だと思いますが、ある日のことです。
Bさんという男性から「妹が住職さんに会いたいと言っておりますが、会ってもらえるでしょうか」とのお電話。

私が「どうかしたのですか」と尋ねますと、「妹は末期がんで現在キリスト教系のホスピス病棟に入院しております。
病室に毎日牧師さんが来られ、いろいろお話されるのですが、妹は『やっぱり私は浄土真宗だから住職さんに来てほしい』と言うのです」と話して下さいました。

次の日、お兄さんと一緒にそのホスピス病棟にまいりました。
とても豪華な独立型の病棟で、ボランティアの方たちも大勢おられ、明るくて素敵な施設でした。
妹さんの部屋は個室でしたが、ベッドが二つあり、家族の者が一日中付き添えるようになっていました。

お浄土で会えますよ
その日はお母さんが付き添っておられ、お兄さんと妹さん、そして私の四人でいろいろとお話をしました。
妹さんの小さな頃の思い出や家族の話をお兄さんがされ、妹さんも笑顔で聞いていました。
妹さんはほとんど声の出ない状態でしたが、お兄さんが声を聞き取り、別れ際、私にこんな質問をされました。

「妹が『死んだらどうなるの』と聞いておりますが...」と。
私が「阿弥陀経というお経に倶会一処というお釈迦さまの言葉があります。
私たちは遅かれ早かれ必ず亡くなっていきますが、もし亡くなっても阿弥陀さまの力によって、みんなまたお浄土で会えますよという意味の言葉です」と答えました。

そして妹さんに「私は今日はこれで失礼いたしますが、また会いましょうね。
この世で会えなければお浄土でまた会いましょうね」と言って、その日は病棟を後にしました。

その夜、お兄さんから「妹が泣きながら喜んでおりました。
ご住職、ありがとうございました」とお電話をいただきました。

五日後、妹さんはお浄土にご往生されました。
「とても静かに、やすらかに亡くなりました」とお兄さんが報告して下さいました。
また会える場所があれば、人間は死を受け入れることが容易になるということを妹さんから学ばせていただきました。

妹さんが最後に「死んだらどうなるの」と質問してくれたことをありがたく思っております。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/