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本当の幸せって何? みんなの法話

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本当の幸せって何?
本願寺新報2002(平成14)年12月20日号掲載
龍谷大学助教授 普賢 保之(ふげん やすゆき)
宝くじに当たれば...

年末の風物詩の一つに「年末ジャンボ宝くじ」があります。
テレビでは毎年、売り出し当日にたくさんの人が、宝くじ売り場に殺到する様子を映し出しています。
一等賞金の出た売り場には、わざわざ遠くから駆けつける人もいるようです。

平成十二年の年末ジャンボ宝くじのデータを見ると、一等賞金(二億円)の当たる割合は一千万枚あたりわずか二本、一等の前後賞(五千万円)で四本、二等賞金(一千万円)は三本だそうです。
こうした数字を見る限り、とても当たりそうには思えません。

「宝くじで当選する確率は、交通事故で即死する確率よりも低い」という言葉もあるそうです。
私たちは交通事故で即死することは滅多にないことであり、自分には関係のない他人事だと思っています。
ところがその確率より、さらに低い宝くじについては、ひょっとしたら当たるかも知れないと思っているのです。
人間は本当に都合のよい生き物だと思います。

さて、万に一つ宝くじに当たって大金を手に入れることができたとしましょう。
それで私たちは果たして幸せになれるのでしょうか。

手に入れた当初は、天にも昇るような気分になることでしょう。
しかしその喜びは、おそらくそう長くは続かないのではないでしょうか。
もっと沢山欲しいと思うようになるかも知れません。
持ったこともないお金を手に入れて、いらぬ心配が増えるかも知れません。

医師の飯塚浩氏は「人に大金が転がり込んできたとき、あるいは貧乏のどん底に陥ってしまったとき、その人は単純に幸福になったり不幸になったりするのではありません。
その人の幸福観が試されるのです」と述べています。

死が幸福を与える
先日インターネットで検索していると、面白い論文にヒットしました。
井上美穂さんという教育学を専攻している学生さんの「死生感が心理的幸福感に与える影響について」という論文です。

井上さんによれば、これまで私たちの生活をより快適に、より豊かに、より幸福にと進めてきた方向は、実は人間を「真の幸福」から遠ざけてきたのではないか、というのです。
そして「真の幸福」は、開かれた死生観を持ち、「死」というネガティブとされるものを受容していく過程にこそ見出されるのであり、否定的なものを包括し、全体性としての幸福を考えていくことこそが大切なのではないか、といった指摘をされています。

家庭の中においても、また学校でも死についての教育はほとんどなされていません。
死はただ忌み嫌うものになっています。
地方によっては出棺の際に、右回りか左回りか知りませんが、棺を回す習慣があると聞きました。
死者が目を回して再び帰ってこないようにということのようです。
また生前使っていた茶碗を玄関先で割る風習のある地域もあると聞きます。
帰ってきても食べる茶碗はないよ、ということなのでしょう。
身近な例では、車のナンバープレートに四の字がつくのを嫌って、何度も取り替える人がいるという話も聞きます。
四という数字が死を連想させるからでしょう。
こうした話は枚挙にいとまがありません。

すべて死を忌み嫌い遠ざけようとするものです。
しかしこれらの行動は、死に脅かされた人生を送っている証(あかし)でもあります。
そんな人生が果たして幸せな人生といえるのでしょうか。

親鸞聖人は不幸だった?
親鸞聖人は三十五歳のとき、念仏弾圧(承元の法難)によって越後へ流されています。
また晩年には妻の恵信尼公と別々の生活を余儀なくされています。
恵信尼公との別離は決して不仲によるものではありません。
しかしそれだけになおさら悲しくつらい別れであったろうと思われます。
さらに八十四歳のときには、ご子息の義絶という経験もされています。

このような聖人の生涯は、物質的に豊かになること、死を忌み嫌い、快適な生活を送ることをもって、幸福と考える価値観からすれば、大変不幸なものであったといえるでしょう。
聖人がつらく厳しいい人生を歩まれたことは間違いありませんが、そのことをもって聖人が不幸な人生を歩まれたことにはなりません。

聖人がひたすら求めたものは、「生死(しょうじ)出づべき道」でした。
「生死出づべき道」とは、苦悩渦巻く人生を乗り越えていく道であり、それは聖人にとって本願の教えだったのです。
聖人は、本願という真実との出遇(あ)いによって、ありのままの自分の姿を知らされ、その自分がそのまま、本願に包みとられていることに気づかれたのです。
そこには深い悲しみと共に大きな喜びがありました。
ありのままの自分がそのまま認められていくという喜びです。
聖人はここに本当の幸せを見いだし、苦しみの多い人生を力強く生きていかれたのです。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/