娑婆(しゃば)の縁尽(つ)きて みんなの法話
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娑婆(しゃば)の縁尽(つ)きて
本願寺新報2007(平成19)年5月1日号掲載
龍谷大学准教授 道元 徹心(みちもと てっしん)
お礼の言葉 生前に録音
昨年末、ご門徒のMさんが亡くなられました。
七十三歳でした。
中陰法要の五七日のお参りに伺った時、Mさんが生前に録音したテープを聞くことができました。
わずか五分程度の語りですが、友人や周りの人たちへの最期のお礼の言葉となっていました。
Mさんは九年前に夫を亡くし、八年前に大手術をした後は入退院を繰り返しておられました。
介護が必要な息子さんを抱え、日々忙しいで晩年であったろうと思います。
録音は亡くなる一カ月ほど前ではないかとのことです。
録音を聞かせていただいた時、Mさんの民謡友達数人もお参りされており、皆が別離の悲しみとMさんの生きざまに涙しました。
「民謡を通じて仲の良いお友達ができ、私にはこの上ない幸せです。
みなさんといろいろな所に出かけましたね。
山のワラビ採り、春には桜、秋には紅葉、それから温泉にも出かけましたね。
それから私のお願いです。
ハッピーで民謡をしてください。
私も三味線・うた・太鼓・笑い声・先生の声を楽しみに聞かせていただきますので、ぜひお願いします。
・・・本当に私はこの上なく幸せでした。
ありがとうございました。
まだお礼が言いたいですが、言いきれません」
このあとに「星影のワルツ」を替え歌にして、「さよならなんてどうしても 言えないだろうな、泣くだろうなー 別れにみなさまにワルツをうたおう・・・」とありました。
最後に「またね!M子」と結ばれ、「まだテープが残っていますのでお話します」として、「村のお友達、たくさんたくさんのお友達、恩は返せません。
・・・・・・でも堪忍してください。
これが私の本当のほんとうの人生ですよ。
みなさん御身を大切にしてくださいね。
よろしくね、お願いします」
どうしてもあと1年は
この録音を繰り返し聞きながら、お参りの人たちとMさんのお人柄を偲びつつ、人生について皆が深く考えさせられました。
闘病中のMさんは、病のことで愚痴をこぼされることは、ほとんど無かったようです。
常に周りの人たちのことを気遣うお人柄だったのです。
民謡の練習は家に隣接する息子さんたちの作業所で行われていました。
最後の願いには、「これからも遠慮無く作業所で練習してください。
私もお浄土から聞いていますよ」との気持ちが込められていたのでしょう。
Mさんは録音の三カ月ほど前、実家に立ち寄り、お仏壇の阿弥陀さまに向かって「どうしてもあと一年は生きないといけないので、生きさせてください」と手を合わされたそうです。
きっと息子さんのことを思い、切実な願いを投げかけられたと想像されます。
その後、周りの人たちへのお礼とお別れのメッセージを録音するまでには、大きな心の葛藤と煩悶(はんもん)の日々があったことでしょう。
ご主人を亡くされて以降、以前にも増してお仏壇と向き合う日々の多かったMさんにとっては、お仏壇の前での対話が大きな依(よ)りどころであったはずです。
凡夫としての情念をご本尊の阿弥陀さまに向けつつも、どうにもならない我が身に気付かれたのではないでしょうか。
そして、そのままの阿弥陀如来の救いに気付かれ、弥陀の大悲に病の身と息子さんのことをまかせられたと思われるのです。
そうであったからこそ、周囲の方々への感謝と返せない恩にふれ、ご自身を幸せな人生であったと述懐されたのでしょう。
また浄土でともに会う
『歎異抄』第九条の「なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり」(註釈版聖典837ページ)という親鸞聖人のお言葉をあらためて有り難く味わうことです。
名残惜しいと思っても、この世との縁が尽きて、自分ではどうすることもできず命終わるとき、かのお浄土に参らせていただくのです。
生き続けていたいというのが凡夫の情ですが、その心をまるごと包んでくださるのが如来の大悲心です。
「またね!」という呼びかけは「またお浄土でともに会いましょう!」という響きとして伝わってまいります。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |