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大切な教え みんなの法話

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大切な教え
本願寺新報2004(平成16)年6月10日号掲載
布教使 河埜 道真(こうの どうしん)
水につかった「御文章」

終戦の年、昭和二十年の九月十七日に来襲した枕崎台風は西日本を中心に甚大な被害をもたらしました。
広島の私の地元でも、この水害で五十数人の方が亡くなられました。
私自身は戦後の生まれですが、その復興のためには、大変な苦労と努力があったと思います。

その水害のためか、私のお寺のご門徒の中には、水につかったと思われる『御文章』のあるお家があります。

ご本尊の阿弥陀さまや御文章など、ご本山からお受けする法物は、浄土真宗のご縁の深い地域では古い時代のものが現在もいろいろ残されていることでしょう。

私のところのご門徒で最も古い時代の御文章は、本願寺第十三代良如上人の時代のものです。
その時代の御文章が残されているお家は、水害を免れた地域であったり、平地よりも高い所に建てられた家であったりするのです。
しかし、鉄砲水や土石流の出た近くでも、良如上人時代の御文章の残されている家もあります。

そこの奥さんに、「こちらのこの御文章は、江戸時代初期のものだと思いますが」と申しますと、「あ、うちは水害でも流れずにすんだのですよ」とおっしゃいました。

もしも、あの台風がなかったら、古い時代のものも、もう少し残っていたのではと思ってみたりします。

養護ホームへご法話に
ところで、広島市に「倉掛のぞみ園」という、十数年前にできた原爆特別養護ホームがあります。
先年、初めて法話のご縁をいただき、うかがいました。
現在、入所者の大半は八十歳を越えておられるそうで、また、職員の方は二十代が半数以上なのだそうです。

原爆養護ホームの入所者の方々のおつとめ(勤行)には、非常に有り難いものを感じました。
正信偈のおつとめの後は、すぐに続いて法話の時間でした。
私が演台のところに立つと、台の上にわりと新しい大きな黒い御文章箱が置かれていました。
ふたを開けると、カラッとかわいた感じの表紙の御文章が目に入ってきました。

いつものことなのですが、この御文章は水害にはあっていないのだろうなと思いました。
御文章をいただいて、最後の方に記されてある、その御文章が発行された当時のご門主のお名前を見てみました。
「良如」と記されてありました。

私はその時、アッと思いました。
良如上人は一六三〇年に第十三代を継職されてから一六六二年までの、江戸時代初期のご門主です。
私は、この良如上人の時代の御文章が原爆養護老人ホームにあるというのは、やはり浄土真宗にそれなりにご縁のある方がお持ちになられ、置かれたのではないかと思ったのです。

救いのはたらきと共に
これはどういったご縁からでしょうか。
きっと、手に入るものの中で一番古いものをということではなかったのでしょうか。
それは先輩の僧侶か、あるいは布教使の方かもしれません。
そして同時に「この教えはとても大切な教えで、先人も、むかしむかしの時代から今日まで伝えてきて下さった。
どうかこの教えを後の時代にも伝えていってほしい」という教えへの思い、ご配慮を感じさせていただいたのです。
さらに、そうした先人から今に連なる思い、ご配慮の底には、この私にみ教えを届けずにはおかないという、阿弥陀さまの強力な救いのはたらきがあるのではないか、ということを感じさせていただいたのです。

この私に、私自身が救われていく教えを届けずにはおかないという阿弥陀さまの強力な救いのはたらきが、ずっとはたらいて下さっている。
ならば、その救いのはたらきと共に、お念仏と共に歩ませていただくことが、私たち一人ひとりにとって一番大切なことではないでしょうか。

戦争や争いが絶えないこの世にあって、「世の中安穏(あんのん)なれ、仏法ひろまれ」と願われた親鸞聖人。
平和を念願する私たちにとって、み教えに生きることの大切さを原爆養護ホームの御文章にお聞かせいただいたご縁でした。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/