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外から見た地球 みんなの法話

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外から見た地球
本願寺新報2002(平成14)年2月20日号掲載
野世 眞隆(のせ しんりゅう)大阪・光陽寺住職
輝かしい失敗
え.秋元 裕美子
新世紀に入って早二年目、二十世紀も遠い存在のように思えてきます。
その二十世紀の人類最大の出来事は、地球から人間が宇宙に飛び立ったことと言われています。

今から三十二年前の一九七〇年四月十三日午後一時、アメリカの宇宙船アポロ13号が三度目の月面着陸を目指して地球から飛び立ちました。
しかし、月までもう一歩という時、船内の酸素タンクが爆発、急激に酸素が減少し、急きょ帰還を余儀なくされました。
この時、宇宙船が無事帰還できる確立は10%未満と言われていたそうです。

時と共に悲観的観測が流れる中、地球上では延べ約二万人が不眠不休でバックアップにあたり、発射から八十七時間ぶりに大気圏突入を試みた結果、奇跡的に乗組員全員が無事帰還できました。
この奇跡の生還は、宇宙開発史上「輝かしい失敗」と呼ばれ、後にトム・ハンクス主演の映画にもなりました。

このアポロ13号の船長はジム・ラベル氏ですが、映画では、その船長が宇宙から見た地球を親指で隠す奇妙なシーンがあります。
これは実際の情景を元に構成されているそうで、後に彼がその場面を次のように解説しています。

「地球とは、月から見れば、親指で隠れてしまう。
宇宙の中では、地球はそれほど小さい。
しかし、そこに全ての命がある。
その姿を見た時には、とても荘厳な気持ちになった。
私たちは、そんな親指に隠れてしまうくらいの小さな所に住んでいるからこそ、皆が協力し、力を合わせて生きていかないと。
地球という名の宇宙船に、共に住んでいるのだから」

この言葉に大変な重みを感じるのは私だけではないと思います。
最近では日本人の宇宙飛行士も続々と誕生していますが、その皆と言ってよいほど、「地球は美しい」という言葉を残しています。
しかし、私たちはこの地球から外に出たことがないからこそ、その美しさを実感できないでいるのかもしれません。

相手の身になれない
最近の報道を見ていると、その地球上では大変悲しい出来事が起こっています。
ひと昔前なら想像もつかなかったことが平然と引き起こされる時代になってきたというのが実感でしょう。
特に近年悲しいことは、人の命を命と考えない、そんな事件が非常に増えてきていることです。
自分の考えを正当化し、その主義主張を貫き通すためであれば、簡単に命までも奪ってしまう。
そんな事件が頻繁に起こっているのが現実です。

なぜ、こんな時代になってしまったのかと問われると返答に困りますが、ただ一つ言えることは、最近は人の立場で物事を考える、相手の身になるといった気持ちが薄れてきたことに起因しているように思われてなりません。

第二次大戦後、特に日本は大変な経済発展を遂げました。
戦後のドサクサの中で国民が一丸となって精進努力してきたことにより、世界第二位の経済大国にまで成長したわけです。
その結果、私たちの暮らしは想像もつかないほど豊かに変身を遂げています。
これだけ景気が悪いと言われる時代でも、今では衣食住に関して困るといったことは、ほぼ解消されています。

豊かな生活になった反面、その豊かさの中で大切なことを次第に忘れてきたのが現代人の姿なのかもしれません。
本当の豊かさとは、生活の豊かさを得るだけではなく、心豊かに生きていくことであるということを真剣に考えねばならない時期にきています。

実感ない命の尊さ
命が尊いことは、誰しも皆、頭では理解しています。
しかし、その命が本当に尊いことをあなたは実感したことがあるかと聞かれると、大変難しい問題です。

人間は、宇宙から見れば、こんなに美しいと言われる地球で暮らしていることも忘れ、争いが絶えず、差別が起こり、殺戮(りく)を繰り返し、環境さえも破壊されている現実は、大変悲しむべき問題です。
知的に優(すぐ)れているといわれる人間が、感謝を忘れ、物を大切に育む意識も欠如し、高度経済成長の恩恵に陶酔してしまったがために、「おかげさま」と素直に言える心までも失ってしまいました。

使い捨てが最高の美徳であるかのように、全てを浪費していく姿が、そのまま人間の命まで粗末に扱う風潮を生んでしまったと言えましょう。

しかし、私たち一人ひとりの命は、掛け替えのないものです。
世の中広しといえども、私と同じ人間は決して存在しません。
そんな代わることのできない命であるからこそ、阿弥陀さまのお心も私たちに向けて下さっています。
阿弥陀さまの目から見れば、まさに「青色青光(しょうしきしょうこう)、黄色黄光(おうしきおうこう)、赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、白色白光(びゃくしきびゃっこう)」―この世の中の全ての命が光輝いたものなのです。

親鸞聖人が、

<pclass="cap2">智慧(ちえ)の光明(こうみょう)はかりなし
有量(うりょう)の諸相(しょそう)ことごとく
光暁(こうぎょう)かぶらぬものはなし
真実明(しんじつみょう)に帰命(きみょう)せよ

<pclass="cap2">(註釈版聖典557頁)

とお示しになられたように、私たちはそれぞれが智慧の光に照らされ、お慈悲の中で生かされていることに気付かせていただくことが、南無阿弥陀仏の世界です。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/