国際人への第一歩 みんなの法話
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国際人への第一歩
本願寺新報2003(平成15)年1月10日号掲載
山口・西福寺衆徒 熊谷 正信(くまがい しょうしん)
カナダでの開教使生活
カナダでの開教使生活を終えて日本に帰国してから五カ月、あらためて開教使としての活動を振り返ってみると、多くのことを経験し、学ぶことができました。
中でも多くのことを学べたのが地元の学生たちの訪問です。
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カナダの学校では公立、私立を問わず、宗教を学ぶ時間があります。
学生たちは仏教・キリスト教・イスラム教などの世界宗教をはじめ民族宗教も学習します。
その一環として、各宗教の礼拝施設を訪問し話を聞くことで、各宗教への理解を深めようとしています。
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年間を通じての多くの学生が仏教会を訪れますが、彼らの仏教に対する興味も様々で、質問も多岐にわたります。
その中で私の印象に残っているのは、「どうしたら仏教徒になれるの?」という質問です。
それまで受けたことのない質問に一瞬びっくりしました。
それは、日本では私を含め多くが自ら選んで仏教徒となったというよりも、家の宗教がそうだったからという理由で特に仏教徒であることを意識せずに生活しているからです。
つまり仏教徒であることが当たり前になっている人には思いもよらない質問でした。
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その時私は「仏教徒となる第一条件は三宝(仏・法・僧)に帰依することですよ」と答えましたが、このことは自分がなぜ仏教徒なのかを考える良い機会になりました。
お互いを理解し合う
学生たちと接することで多くのことを学ぶことができましたし、学生たちが仏教を理解する手伝いができたことも大きな喜びです。
時には他宗教の教会から招かれて、仏教についての講演をすることもありました。
これらに共通するのは、異なる宗教がお互いを理解し認め合うことで共存していこうという動きです。
宗教の間にも国際化の波が確実に押し寄せているのでしょう。
欧米ではこのような宗教間対話が盛んに行われています。
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交通や情報文化の発達により世界がどんどんと狭くなった結果、あらゆる方面の国際化は避けられないことです。
ただ多くの人たちにとっては、本当の意味での国際化、また国際社会がどのようなものかという答えがはっきりしていないのではないでしょうか。
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その答えはお経の中にありました。
実は仏教はとても国際的なのです。
『阿弥陀経』の中には「青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放ち、いずれも美しく、その香りは気高く清らかである」(現代語版『浄土三部経』219頁)と、お浄土に咲く蓮の花の様子が説かれてありますが、これは単にお浄土の様子を説明したものでなく、それぞれ違いがあっても等しく尊い命を輝かせていると説かれているのです。
これはまさに私たちが理想とする世界のあり方です。
ではその世界を実現するにはどうすればよいのでしょうか。
仏法は私の姿を映す鏡
いま多くの人たちが外国語、特に英語を学んでいます。
これからの国際化社会で生きていくためには英会話ができないと! ということで、下は零歳の赤ん坊から上はお年寄りまでが頑張っています。
しかし、英語がしゃべれるからといって国際人ではありません。
英会話も大切ですが、英語はあくまで意志疎通の手段であり、英会話のできる人すべてが国際感覚のある人だとは限りません。
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国際感覚のある人は、自分のことがよくわかっている人であり、また他を認めることのできる人ではないでしょうか。
自分のことがわかるというのは、宗教や文化、言語を含めて、自分が何者であるかがわかるということです。
また他を認めることのできる人とは、宗教や文化、言語の違いを超えて自分とは違うものを敬える人のことです。
そして、そのお手本となるお方が親鸞聖人です。
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聖人は『歎異抄』で「この親鸞においては、『ただ念仏して、阿弥陀仏に救われ往生させていただくのである』という法然上人のお言葉をいただき、それを信じているだけで、他に何かがあるわけではありません」(現代語版『歎異抄』6頁)と言われ、法然上人に信順していかれました。
それは、お念仏以外にさとりに至る道がなく、お念仏の光によって、自分の姿をはっきりとわかっておられたからです。
また「愚かなわたしの信心はこの通りです。
この上は、念仏して往生させていただくと信じようとも、念仏を捨てようとも、それぞれのお考えしだいです」(同7頁)と、自らの見解を他に強要することはしておられません。
それは他の人が進む道を尊重することでもあります。
つまり親鸞聖人は自分の立場も明確にわかっておられたし、他の人の立場も尊重するという、国際人になくてはならない要素を持っておられました。
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みなさんの中には仏教の教えが国際化とは関係のない、古臭く、むしろ非国際的なものだと思っておられる人もあるかと思いますが、実は本当の仏教徒になるということは、国際人になることでもあるのです。
もしみなさんが国際感覚を身につけたいと思うのならば、まず自分のことを知ること、そして他を受け入れる寛容性を養うことをお勧めします。
その一番の方法が仏教に学ぶことです。
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よく「仏法は鏡」といわれますが、まさに仏さまのみ教えは私の真の姿を映す鏡です。
さて、仏法の鏡に映る自分の姿はどのようなものでしょうか? 映し出された姿に何を思うでしょうか? 国際人への第一歩です。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |