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厳父(げんぷ)と非母(ひも) みんなの法話

提供: Book


厳父(げんぷ)と非母(ひも)
本願寺新報2001(平成13)年7月20日号掲載
遠山 博文(とおやま はくぶん)(宝専寺住職)
いつも呼びかけを

え.秋元裕美子
私が学校を卒業し、お寺の法務を手伝うようになった頃です。
お寺によくお参りされるご門徒の方が私に、

「若さん、お寺に入ったら、門徒の人がこころをお寺に向けるように、いつも呼びかけなくてはいけないよ。
私たちは、それを待っているんだから。
呼びかけてくれれば私は必ず出て行くから」

と、言われました。
この方の言葉が私の心を動かしてくれました。

それからは、定例法座を再開、今の土曜学校の前身である子ども会を始めたり、テレホン法話や市内のケーブルテレビによる法話を開設したり、と少しずつでしたが「呼びかけ」を始めました。

このようなきっかけをつくり、物心両面の援助をし、いつも「呼びかけ」の先頭におられた方が先年、八十四歳で亡くなられました。

今思うと、第二の人生として始めた今川焼き屋さんを、多くのファンに惜しまれながらも「老齢の為」ときっぱりとやめ、お寺や老人会の役員も退任されての往生でした。

朝、お参りにうかがうと、この方の寝ている布団にもう一人女の子が寄り添うように寝ています。
「まさか二人とも...」と、私が驚いていると、その女の子は眠そうな目をこすりながらむっくり起き上がりました。
この方が「目の中に入れても痛くない」とかわいがっていた中学生になるお孫さんです。

おそらく、夜中にお別れをして、そのままおじいちゃんの布団で一緒に寝てしまったのでしょう。
亡くなったおじいちゃんと添い寝する孫、そんな生と死がごく自然に一緒にある光景は、この方の生前を象徴しているようでした。

短歌に救われた
お参りをしながら、お仏壇の横の柱に掲げてある、ご自身でつくられた短歌がふと目に入りました。

吾が前にいつも如来はまして
時には背なの方にまします

「仏さまのみ教えを聴くことが何よりの楽しみ」と、仕事を休んででも法座の日には聴聞をしておられました。
手を合わせお念仏を称えるとき、わが前におられる如来さま。
これが上の句の意味ではないでしょうか。

下の句の「時には背なの方にまします」とはどういうことでしょう。
私は二つの意味があるように思います。

一つは、阿弥陀さまの優しさです。

親鸞聖人が、『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)に「なほ非母(ひも)のごとし、一切凡聖の報土真実の因を長生(じょうしょう)するがゆゑに)(註釈版聖典201頁)と説かれるように、阿弥陀さまのご本願は、母親のような優しさで、あらゆる人々がお浄土に生まれる種を育んでくださいます。

私たちが生きることに疲れ、挫折したとき、そんなとき阿弥陀さまが「私もここにいるぞ」と背なの方から支えて下さる母親のような優しいはたらきです。

二つめは、阿弥陀さまの厳(きび)しさです。

「なほ厳父(げんぷ)のごとし、一切もろもろの凡聖を訓導するがゆゑに」(同)

阿弥陀さまのご本願は、父親のような厳しさで、あらゆる人々を教え導いて下さいます。

以前、この方に、

「私は苦しかったとき短歌に救われたことが何度もある。
短歌がなかったら今の私はなかっただろう」
と言われたことがありました。

若いときから大変苦労をされたそうです。
おそらく、生きるためとはいいながら、いつしか人の道を外れてしまったり、自分の正しいと信じる反対の方向に進んでしまったこともあったでしょう。
そんなとき、

「どこへ行こうとしているんだ。
方向が違うぞ...。
おまえは今、私に背を向けているぞ...」

と阿弥陀さまが後ろから呼び戻して下さる、と気付かされたのではないでしょうか。

どんな時でも
逆境のときも、はたまたおもしろいように人生が進んで行くときも、私たちは知らず知らずのうちに正しい方向を見失い、自己中心の生き方になっていることにすら気付かないことがあります。
そんなとき、私の「背なの方にまします」阿弥陀さまに「方向が違うぞ...」と呼び戻され、方向を正される。
それは、私の勝手な都合とは相反する厳しい訓導のときもあるでしょう。
阿弥陀さまから逃げようとする私さえも導いて下さるはたらきです。

このようなはたらきを有難い、勿体(もったい)ないといただく心が「背なの方にまします」という丁寧な言葉になっているのではないでしょうか。

苦しいときは後ろに寄り添い、私が背を向けているときも、厳しく真の道に導いて下さる如来さまに救われた人生を、短歌に遺(のこ)して下さいました。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/