出会い多き人生 みんなの法話
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出会い多き人生
本願寺新報2002(平成14)年1月10日号掲載栗原 一乗(くりはら いちじょう)広島・浄楽寺住職ボロボロの人形え.秋元 裕美子昨年十一月末に届いたあるメールマガジンの文章です。
</p>『徳川家康を知らない人はいないと思います。
徳川家康はずっと前に死んでしまった人ですが、歴史の史実の中で生きています。
そして、歴史が語り継がれることによって、私たちはこの事を認識しています。
</p>葬儀の時の「死んだ」が時間が経つと徳川家康のように「生きていた」に変わります。
そして、その人の思い出話をしながら、その人が生きていたという事実を再認識します。
</p>もし思い出話をする人が誰もいなくなれば、この世に生きていた証(あかし)も消滅し、生きていたという事実が忘れられてしまいます』</p>葬儀社の方が書かれたものです。
このメールマガジンを読んで思い出したのが、部屋の片隅に飾ってあるボロボロの手作りの小さな人形です。
</p>その人形は昭和十七年に伯父さんが入隊するときに、教え子の小学生が作って渡してくれたものです。
伯父は翌年、名古屋で病死しています。
二十二歳でした。
遺品の中にその人形がありました。
その人形を誰よりも大切にしていたのがおばあちゃんでした。
</p>おばあちゃんが亡くなり何年か経ち、タンスを片付けていたら、その人形が出てきました。
おばあちゃんのタンスの中に人形が飾ってあったのは、私も子どもの頃から知っていました。
でも何の人形かは特に尋ねた記憶はありません。
その人形は過ぎ去った歳月を証明するような本当にボロボロになった人形です。
</p>捨てたらいけん私は「もうこの人形は捨ててもいいかな」と思い、父に聞いてみました。
父は「捨てたらいけん」と言い、その時はじめて人形の意味を聞かされました。
そしておばあちゃんが大切にしていた理由もわかりました。
この人形が伯父さんが生きていた証の一つなのかなと思うと捨てられなくなり飾っています。
</p>私にとってきたない人形でしかなかったものが、不思議と見方が変わってきました。
写真を通してでしか会ったことのない伯父さんです。
伯父さんの思い出は私には何一つありません。
でも、おばあちゃんの思い出はたくさんあります。
勝手だなとは思いますが、おばあちゃんの大切にしていたものは捨てられないのです。
人形はおばあちゃんにとっては我が子が生きていた証だったのだと思います。
父にも大切な思い出だと思います。
私には何にも思い出はないけれど、大切な人形になってしまったのです。
</p>しかし、いつかはこの人形も捨てられていくでしょう。
最初のメールマガジンに「もし思い出話をする人が誰もいなくなれば、この世に生きていた証も消滅し、生きていたという事実が忘れられてしまいます」とありましたが、この文章が妙に心に突き刺さったのです。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」のひと言では片付けられないものを感じたのです。
</p>私は法事のとき、法話の中で「出会い」ということをよく話します。
法事の法話はいつも緊張します。
法事の場にはさまざまな方が座っておられます。
仏法のご縁に会われた方ばかりではありません。
他宗派の方もおられますし、宗教に興味のない方もおられます。
初めて法話を聞くという方もおられます。
そんな中でいつも「今日こうしてお集まりの中には、毎日顔を会わせている方もあるでしょう。
何日ぶりかで会う方もあるでしょう。
または、前回の法事以来、何年ぶりかでお会いになる方もあることと思います。
なかなか出会うことのできない私たちに故人が今日の一日を与えて下さったんですよ。
出会う日とさせていただきましょう」と話します。
</p>出会っていても、自分の都合でしか出会えない私です。
そんな私に本当に出会う人生を歩んでくれよと阿弥陀さまが願っていて下さるのです。
</p>「いのち」と「いのち」が出会う。
自分の本当の姿に出会う。
私にかけられている阿弥陀さまの「ねがい」に出会う。
そして亡き人にも出会っていく。
そのすべての出会いは念仏申す人生の歩みの中で、たった今出会うことのできる道をいただいたのです。
本当に出会っていくことのできる道です。
</p>終わらない〝いのち〟おばあちゃんが大切にしていた人形。
人形を通して出会ったことのない伯父さんに出会いました。
でもその証も思い出もいつかは消えてしまうでしょう。
それは私自身も一緒です。
最初は消えていくことが寂しく感じましたが、今は、さほど感じません。
思い出は消えても「いのち」は終わらない。
仏として生まれていく「いのち」をいただいたのです。
前(さき)に生まれた者は、今日を生きていかなければならない私を導いていて下さるのです。
</p>「ナンマンダブツ」と念仏申すとき、はかりしれない「いのち」を感じる思いがします。
</p>たくさんの出会いができるような人生を送りたい。
</p>今年はおばあちゃんの十三回忌、伯父さんが亡くなって五十九年になります。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |