僕といつも一緒 みんなの法話
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僕といつも一緒
本願寺新報2006(平成18)年2月10日号掲載
本山・布教研究専従職員 阪本 樹流(さかもと じゅりゅう)
天国の住所誰か教えて
ずいぶん前のことですが、ラジオを聞いておりましたら、こんな手紙が紹介されていました。
「先日、お父さんが亡くなりました。
天国にいるであろうお父さんに、手紙を書きたいけれども、その住所がわかりません。
誰か教えてください」
ラジオから流れるその言葉を聞いて、私は複雑な思いになりました。
「人間死んだらおしまい」という言葉をよく聞きますが、それと同時に、「天国」という言葉もよく耳にします。
両者はあい反する言葉です。
親しい人との別れに直面した時に、死んだらおしまいと言い切ることができるでしょうか。
どこかで生きていてほしいと思う、弱くて悲しい人間のすがたというものが見えてきます。
私たちは、この世があったようにあの世があり、天国があるように考えます。
そこに生きる支えを求め、安心を得ようとします。
しかし、「天国の住所を教えてほしい」といわれても、誰も答えることはできません。
「天国にいるであろう」といいつつ、「その住所がわからない」というところに、いいしれない絶望があります。
この世と天国との間には深い断絶があるようです。
両親先立ち残った兄弟
ところでお浄土はどうでしょうか。
お浄土には阿弥陀さまがおられます。
しかも阿弥陀さまは、お浄土でじっとしている仏さまではありません。
いつでもどこでも、一人には決してさせないと、この私に「南無阿弥陀仏」と至り届いてくださる仏さまです。
こんなことがありました。
あるお葬式のことです。
四十一歳のお母さんが亡くなって、小学校二年生と幼稚園に通う五歳の男の子二人が残されました。
お父さんも二年前にご病気で亡くなられており、幼い兄弟二人だけが残されたのです。
お葬式が終わり、白いお骨となって帰ってきた時に、幼稚園の子が涙をぼろぼろこぼしながら、こう聞きました。
「お母さんどこにいったの?」
私は涙をこらえるのが精いっぱいで、何も言葉を発することができませんでした。
一年ほど経って、そのお宅にお参りに行った時のことです。
お子さん二人をひきとられたおばあちゃんが、「お寺さん、これを見てください。
この子がこんな絵を描いてきたんですよ」-そういって見せてくれたのは、下の子が幼稚園で描いてきたスケッチブックでした。
そこには遠足の時の絵、おイモ堀の時の絵、楽しい絵がいっぱい描いてありました。
そして、おばあちゃんが私をせかすのです。
「お寺さん、もう少し後ろに、この子が、お父さんとお母さんの絵を描いてきたんですよ。
それを早く見てください」
絵の中心に阿弥陀さま
私はふと、両親を亡くしたこの子は、さぞかしつらい悲しい思いをしながら描いたのだろうな、そう思いました。
だけどそうではありませんでした。
そこには、お父さんの絵、お母さんの絵、そしてそのまん中に、阿弥陀さまの絵が描いてありました。
それもみんな、笑顔に満ちあふれていました。
理屈ではなくて、今、こうして手を合わせ、お念仏申すその中に、私を支え、導き、育(はぐく)み、護(まも)ってくださる仏さまがいらっしゃると教えられました。
お浄土はどこか遠くを探すものでもなく、こちらから手紙を出す必要もありません。
阿弥陀さまは、死という別れの中で、一人ぼっちにはさせないと、今ここに「南無阿弥陀仏」と至り届いてくださったのです。
もしも阿弥陀さまがいらっしゃらなかったらどうでしょうか。
この子はずっとお母さんを探しつづけたことでしょう。
お葬式の時、彼から「お母さんはどこにいったの?」
そう聞かれて、私は何も答えることはできませんでした。
その彼が、今ではこういってくれます。
「阿弥陀さまとパパやママは、僕といつも一緒なんだよね」
阿弥陀さまは生と死を超えたまことの親となって、お浄土に向かう人生を、共に歩んでくださるのです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |