仏最高の良薬 みんなの法話
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仏最高の良薬
本願寺新報2000(平成12)年10月1日号掲載
護山 智孝(もりやま ともたか)(布教使)
大好きなハンバーグ
え.秋元 裕美子
子育てにはいろんな悩みがあります。
特に乳幼児は、基本的な生活習慣とともに宗教的な情操を身につけなければならない大切な時期です。
私には三歳の長男と二歳の次男がいますが、食事の場面が最も苦労させられます。
ある晩のおかずはハンバーグでした。
子どもの大好きな定番メニューです。
ハンバーグを盛り付けたお皿を子どもの待つ席まで運びかけました。
しかし、大きなハンバーグだったので、食べ残しの無駄を出さないように、半分にして差し出しました。
ところが長男は、いつもなら大喜びで食べるのに、私を険しい目でにらみつけています。
「どうしたんだ。
早くいただきますをして食べなさい」と促すと、持っていたスプーンを投げ飛ばし、茶椀をひっくりかえし、湯飲みをなぎ倒しました。
もうあとは修羅場です。
なぜ長男はあれほど激しく腹を立てたのでしょうか。
妻に尋ねると、「子どもの目の前でハンバーグを半分にしたからでしょう」と言います。
別の機会に実験してみました。
子どもの視界に入らないところで、密かにハンバーグを半分にして、皿に盛り付けて子どもに差し出すと、子どもは喜んで食べました。
子どもにしてみれば、自分の好きなものを見た瞬間に"我がもの"という思いがあるのでしょう。
だから、それを半分にされると、盗まれたと感じて腹を立てたのに違いありません。
それは私自身の姿
ところで、私は腹を立てた長男に対して、親として長男の態度を叱ったのはいうまでもありません。
「一乗(かずのり)(長男の名前)、なぜお前は、そんなに腹を立てるんだ。
おまえの好きなハンバーグを食べさせないというんじゃない。
食べ残しを出したら、勿体(もったい)ないから半分にしたんだ。
半分食べられたら、残りの半分を出してあげるつもりだったのに。
それがお前にはわからないのか。
いい加減に腹を立てるのはやめなさい」
しかし、当の長男は、神妙になるどころか、まだふくれっツラをして、目を怒らせています。
それを見て今度はこっちがカーッとなります。
「なんだその態度は。
馬鹿タレが。
わからんのならわかるようにしちゃろうか」
もう親として子を叱る言葉でも態度でもありません。
一部始終を見守っていた妻が、私をたしなめました。
「そんな叱り方はないんじゃないの。
あなたは一乗を一方的に叱っているけど、あなたは一乗のように腹を立てたことは一度もないの」
怒りの炎に燃え上がる私は、妻の言葉にハッとさせられました。
親として長男の態度を改めるべく叱りつけましたが、叱りつけた長男の姿は、そっくりそのまま私自身の姿でもありました。
だれに教育?されたわけでもないのに、自分の好きなものを目にすると、たちまち我がものと思い、どの手にかけてでも自分のものにしなければ気がすまない。
そして、思いのまま自分の欲するものが手に入れば喜ぶが、それを邪魔立てするものがあれば、怒り、腹立ち、そねみ妬(ねた)む心を燃え上がらせてゆく-。
「本願醍醐の妙薬」
誠に私たちは随縁の身であります。
欲を起こすまいと思っても、欲を起こすべき縁が来れば欲を起こし、腹を立てまいと心に決めても、腹を立てるべき縁に催されれば腹を立て、愚痴をこぼすまいと誓っても、愚痴をこぼすべき縁にであえば愚痴をこぼさずにはいられない。
縁によって定めなく変わってゆく性分しか持ちあわせていません。
しかもそのことに全く無自覚です。
わが身の罪障に無自覚であることほど、恐ろしいものはありません。
例えば病気です。
痛みなどの自覚症状を伴わない場合があります。
実際に病気にかかっていながら、痛みの自覚が表れにくい。
しかし痛くないからといって病気にかかっていないのではない。
痛みの自覚がないままに病状は密かに進行し、痛みが顕著になったときには、すでに余命いくばくもないというケースもあります。
私どもは煩悩具足・最悪深重という極めて重い病にかかった凡夫です。
しかもお恥(は)ずかしいという痛みが全くありません。
ケロッとしている。
痛みのないまま自らの罪業に引かれて、迷いの境界(きょうかい)を輪廻(りんね)することは必定(ひつじょう)です。
このような私の愚かな姿をめあてに、救おうと願い立たれたのが阿弥陀さまです。
阿弥陀さまは南無阿弥陀仏の名号となって私に至り届き、私の迷いを迷いと知らしめ、凡夫を凡夫と知らしめて、本願力に帰せしめるべくはたらき通しです。
阿弥陀仏の本願の救いは、まさに治療の見込みのない衆生をして治療せしめる最高の良薬であるから、親鸞聖人は「本願醍醐の妙薬」(295頁)と尊び仰がれたのです。
阿弥陀さまは、長男の姿を通して、私の姿を知らしめ、救いを告げていて下さるのです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |