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仏壇のある家に暮らすこと みんなの法話

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仏壇のある家に暮らすこと
本願寺新報2002(平成14)年11月10日号掲載
福岡・徳常寺住職 紫藤 常昭(しとう じょうしょう)
かたじけなさに涙が

おそらく、私を含めこの欄の読者のほとんどの家には仏壇があるのではないかと思っております。
つまり私たちは仏壇のある家に暮らしているわけです。
朝に夕に仏壇の前に座ります。

子どもの頃、私はこの習慣が嫌いでした。
無理やりやらされていたことであったし、やっている意味もよくわからなかったからです。

今、この歳になってそのような環境で育ったことに感謝しています。

やってみればわかることですが、ひとり仏前に座し、合掌し念仏をする。
言葉なき言葉、声なき声で仏さまと話をする。
今は浄土におわします方々と語り合う。
人智を超えた大いなるものを我が身に感じて、何とも言えない敬虔(けいけん)な気持ちになります。

「なにもののおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだのは、西行法師でした。
法師は平安時代の終わりに生きた人で、二十三歳の時、武士を捨てて出家します。

「鈴鹿山うきよをよそにふりすてて いかになりゆくわが身なるらん」

出家当時の作です。
自身でも行く末に不安を感じていたに違いありません。
そんな中に漂泊の旅を重ねてゆきます。
風雨に打たれ、草を枕にするような日々が続くのです。
決して楽しい旅であったとは思えません。
しかし晩年、「かたじけなさに涙こぼるる」という心境を生きているのです。
たとえ周りの者にどのように映ろうとも、「かたじけなさに涙こぼるる」という心境を生きていたとするならば、これほどに幸せな人生があろうか、と私は思うのです。

また「なにもののおはしますかは知らぬ」と言われるが、知らないことはない、知っているのです。
かたじけなさに涙がこぼれているのですから。
ただ、その事を言葉で説明できない、また説明する必要もないのかも知れません。

声となって至り届く仏
現代に生きる私たちは、いつの間にか自分に理解できないものはないと思い、自分に納得のいく説明ができないものは嘘か、自分にとって必要のないものだと思い込んでいるようです。
では、自分に理解できるものは何なのかといえば、損か得か、好きか嫌いか、正義か悪かといったような話のことで、これが私たちの暮らす社会なのです。

これも大切なことなのですが、それがすべてならば、むなしい人生で終わってしまうのではないでしょうか。
仏法という場に立って自身を見つめるとき、仏さまを仰いで生きる人生の貴さが教えられてくるのです。

さて、私たちが仰いでいる仏さまは阿弥陀如来といいます。
不可思議光仏ともいわれる仏さまですから、とうてい人智の及ぶものではなく、真如(真理)そのものです。
それを、親鸞聖人は「いろもなし、かたちもましまさず。
しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり」(註釈版聖典・709頁)と言われます。
その真如の世界から「かたちをあらはし、御(み)なをしめして、衆生にしらしめたまふ」(同・691頁)すがたが阿弥陀如来であり、声となって今、私のところに至り届いている仏さま・南無阿弥陀仏であるとも言われるのです。

ものを言うお墓に会う
私の暮らす福岡市の中心に萬行寺という大きなお寺があって、明治のころ七里恒順(ごうじゅん)という和上さまが住職としておられました。
和上(わじょう)の説教を聴くために、全国より参詣の方々が集まり、お寺の付近には数十軒の旅館が立ち並んだそうです。

和上さまは、参詣の方々にいつも、お念仏することを勧められました。
今も萬行寺の境内には「念仏しなされや(和上さまの言葉)」と書かれた掲示板がたっています。

ずいぶん前のことですが、私は先輩のお坊さんと七里和上のお墓参りに来たことがありました。

本堂にお参りした後、裏手の墓地に回りました。
するとそこは都会のど真ん中とは思えないくらい広い敷地で、大きな銀杏(いちょう)の木が何本も立っており、その一本の銀杏の下に「願行院釈恒順教師」と書かれた和上の墓碑がありました。

私たち二人はお墓参りを済ませ、ぶらぶらと墓地の中を散策しました。
するとここの墓地には名号碑が圧倒的に多いことに気付かされたのです。
名号碑というのは、墓石の表に「南無阿弥陀仏」と書いてあるお墓のことです。
「和上ご在世のころはよほど念仏がさかんだったんだろう」などと感心しながら二人歩いていると、ひときわ大きな名号碑があって、なんとその石の台座には「トナユルベシ」の文字が刻まれてありました。
私はものを言う墓に初めて会った思いでした。

この墓の主は、縁あってわが墓の前に立つ者がいるならば、念仏しなさいと言っているのです。
念仏のある人生がいかに素晴らしい人生であったかを伝えているのです。

さて、私たちは仏壇のある家庭に暮らしています。
毎日お念仏をして、仏さまと一緒に生きています。
時折「かたじけなさに涙こぼるる」ような気分になることもありますが、何ということもない気分でたいていは生きております。
それでも今日も「南無阿弥陀仏」と仏さまが私の気分に関係なく、声となって至り届いて下さいます。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/