操作

仏かねてしろしめて みんなの法話

提供: Book


仏かねてしろしめて
本願寺新報2004(平成16)年11月1日号掲載
和歌山・西光寺住職 蓮下 義昭(はすした ぎしょう)
凡夫同士が縁によって

父は立ち上がって言いました。

「ただ今は皆さまから、二人にお祝いの言葉をたまわり、またおほめをいただきました。
まことにありがとうございます。

ところで、じつは二人とも凡夫(ぼんぶ)であります。
凡夫というのは、愚かで、欲も多く、腹を立てる者といわれています。
凡夫同士が縁によって結ばれたのでございます......。
どうか、末長くご指導くださいますようお願いいたします」

四十年ほど前、私の結婚式の時のことです。
私は、こんな席で、凡夫、凡夫と何度も言わなくても...と思いましたが、その日から、凡夫の家庭生活を始めたのでした。

家族は互いに支え合い、苦楽も分かち合うためにあり、家庭はその集まりの場でなければ、と言われますが、また、対立の場でもあります。

石川啄木は「猫を飼わばその猫がまた争いの種となるらむ悲しきわが家」と歌っています。

親子・夫婦・兄弟が、ささいなことに腹を立て、争うことは珍しくありません。

そういう煩(わずら)わしい家庭は、静かに仏道を修行するときに妨げになるとして、「出家」ということが行われました。

親鸞聖人と同じ承安三年(一一七三)に紀州に生まれた華厳宗の明恵(みょうえ)上人は、そのひとりです。
また親鸞聖人の師である法然さまも生涯独身でした。

ところが、結婚について、法然上人はこう語ったということです。

「妻を持つ方が念仏を称えやすいか、持たない方が称えやすいか、それを考えて決めるとよい」

愛別離苦の人生の中で
やがて、親鸞聖人は恵信尼さまと結ばれ、お子たちも六人おられたとのことです。
その頃、家庭を持つような僧は僧侶の扱いをされなくて、聖人はみずからを「僧に非(あら)ず、俗に非ず」と言われました。
念仏生活をされているから、俗でもないとおっしゃられたのでしょう。

家庭生活はまた、愛別離苦(あいべつりく)を味わうところです。
父は妻を二人喪(うしな)い、その間にできた長男まで、十八歳という花の盛りに亡くしました。
大正時代のことで、いずれも結核がもとでした。
父は涙と念仏のうちに耐えて生きていましたが、やがて私の母と結ばれ、四十五歳にして私が生まれました。

親鸞聖人は、ご長男の善鸞さんに裏切られたと記録にあります。
八十四歳の時といいます。
はるか関東の地に派遣した、信頼しきっていたわが子が背いたのです。
さぞやおどろき、あきれ、悲しまれたことでしょう。

このように親子の間にさえまことのない人生において、たった一つまことがある、としみじみ味わわれたのではないでしょうか。

「ただ念仏のみぞまことにておはします」(歎異抄、註釈版聖典854頁)のお言葉の通り、ただナンマンダブと申すほかなかったことでしょう。

念仏の外に生きられぬ
凡夫には、愛憎(あいぞう)と離別がつきまといます。
そういう凡夫こそ救ってやりたいと阿弥陀さまは立ち上がってくれました。
『歎異抄』の中に「仏かねてしろしめして、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫と仰(おお)せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」(同836頁)と聖人のお言葉が記されています。

五十九年前、日本が戦争に敗れて平和が来ましたが、自分の教えた生徒たちがたくさん戦死してしまったと悲しんでいた父でした。
戦場から届いたハガキを見て、泣いていました。

その頃、仏教を批判して、父と意見を異(こと)にした私に、父はただ「年をとるとわかるよ」というのでした。

ところで、あの時、父が「凡夫が縁によって...」と言ったあとの言葉を聞きませんでした。
父はそれを言わずに三年後に往生しました。
つづく言葉はなんだったのだろうか...。

「念仏のほかに凡夫は生きられないよ」でなかったか、私は今それを思うのです。

なにが始まるかわからない凡夫の家庭に、「そのままたすけるぞ」との阿弥陀さまのおよび声、お念仏がたよりだよ...。
父の声が、あの下駄(げた)の音とともに聞こえてくるようです。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/