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今を生きる みんなの法話

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今を生きる
本願寺新報2001(平成13)年6月20日号掲載
三崎 霊証(みさき れいしょう)(西宮寺住職)
明日への夢

え.秋元裕美子
「~明日があるさ、明日がある、若い僕には、夢がある、いつかきっと、いつかきっと、わかってくれるだろう、明日がある、明日がある、明日があるさ」と大きな声で日曜学校の子どもたちが歌っています。
この歌は昔、坂本九さんが歌っていた懐かしい曲です。
それが今、替え歌となって大流行しています。

やはり時代が変わっても、良い歌はいつまでも人に親しまれるようです。
歌を聴きながら、私も若い時はイヤなことやつらいことがあったとき「まあいいや、明日がある」と、できるだけ今日のことは忘れて、明日のことを考えたものです。
また子どもに「今日これをしておきなさい」と言えば、「明日するよ」という返事が返ってきます。

へたをすると私たちは、今日しなければならないことを明日に回しているような生き方をしているのではないでしょうか。
明日に夢や希望をもって生きることも大切です。
しかし、仏法を聴かせていただきますと、明日よりも「今を大切に生きる」ということを教えられます。

仏法に明日はない
本願寺の変革者といわれる八代目の蓮如上人は、「仏法には明日と申すことあるまじく候ふ」(註釈版聖典・1264頁)とおっしゃいました。

私のお寺では、毎月のご法座に多くの門信徒の方々へご案内をいたします。
ところが中には、お寺に法座があると用事が出来るという人がいます。

「その日は忙しいからお参りできません。
またこの次参ります」

しかし、年に一度の団体参拝で温泉旅行に行きませんかとご案内しますと、なんと用事のある人が用事がなくなります。

「あっ、その日はちょうど空いています」

どうも仏法というものは暇ができたらとか、そのうちに聞けばよいと思っているようです。

そのような私に仏法を聞くのは今日だけですよ、今ですよ、明日はありませんよ、と蓮如上人が教えてくださいました。

ある友人が、「俺は何歳で結婚して、子どもは何人生んで、何歳になったら大きな家を建てるんだ」と元気に夢を語ってくれましたが、夢を実現できずに突然亡くなりました。

「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」(同・1203頁)です。

考えてみますと、私たちはいつでも今を生きているのです。
昨日はもう過ぎてしまいました。
明日はまだ来ません。
すると確かなのは、今日だけ。
今だけなんです。
その一番大事な今をどう生きるか。
それを教えて下さるのが仏法なのです。
二度とやってこない今日を悔いのないように生きることです。
明日があると生きるより、今日しかないと生きることが大切です。
しかし、その毎日の日暮らしの中で、私たちはさまざまな悩みを抱え、苦しみや悲しみと出会いながら生きています。

阿弥陀さまの願い
その私たちの苦悩を見抜いた中に生まれたのが、阿弥陀仏の願いです。
いつでも私に大きな願いをかけてくださっています。

「あなたの人生がどんな苦悩をかかえ悲しみ多い人生であっても、あなたの生命を根底から支えて、そして悔いのない人生を歩ませて、この世の生命が終わったとき、必ずさとりの世界の浄土に生まれさせて、仏さまの生命に仕上げましょう」と願われているのです。
その願いのはたらきが私にとどけられているのが、南無阿弥陀仏のお念仏なのです。
それは私を浄土へ生まれさせる仏さまのはたらきです。

去年、友人より聞かせていただいたお話ですが、彼のお父さんががんのため、六十八歳で亡くなりました。
その亡くなる何ヵ月か前に、家族親類でお父さんを囲んで食事会をしたその時、「今日は皆集まってくれてありがとう。
本当は最後の時でいいのに、来てくれてうれしい。
まあ俺はがんや、だからどんな死にざまするかわからん。
のたうち回って死ぬかもわからん。
醜い姿を見せるかもわからん。
でもなあ安心してくれ。
お父さんは命が終わったら、必ず浄土に生まれて仏さまにならしてもらう。
だから先に行って待ってるからお前たちもまちがいなく来てほしい。
今日は本当にありがとう」と語ったそうです。

なかなか言えないことです。
でもそれが言えるのは阿弥陀さまの願いを聞いているからなのです。
仏法を聴聞してお念仏をいただいた人は、どのような人生であっても阿弥陀さまに支えられて生きていく人生です。
そして縁が尽きた時、無量の世界である浄土に生まれるのです。
今日の次に明日はあります。
しかし、それは無量の明日です。
先だって行かれた人と出会える浄土(くに)です。

浄土真宗の生活信条に「み仏の誓いを信じ、尊いみ名を称えつつ、強く明るく生き抜きます」とありますように、今日一日をお念仏を支えにして生きていくことが大切です。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/