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人生最後の言葉 みんなの法話

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人生最後の言葉
本願寺新報2008(平成20)年10月10日号掲載
広島・安楽寺住職 毛利 友之(もうり ともゆき)
誕生日にお浄土へ

人は去っても

その人のほほえみは

去らない

人は去っても

その人のことばは

去らない

人は去っても

その人のぬくもりは

去らない

人は去っても

拝む掌(て)の中に

帰ってくる

(『ひととき-私をささえるる言葉』)

恩師である中西智海先生の書かれた詩です。

父との別れ、母との別れ...。
私は大切な人との別れを通して、この詩をしみじみと味わわせてもらえるようになりました。

私の父は今から23年前、自身の77歳の誕生日にお浄土へとかえっていきました。
約1年半の間、肺がんのために療養生活を送るなか、入退院を繰り返していました。

いたってお酒好きだった父は「誕生日には先生のおゆるしをもらって家に帰り、何もなくていいから、子どもや孫たちに来てもらって、ちょっと一杯やりたいのう」と話していました。

それ秋も去り春も去り
しかし、誕生日の4日前になって容体が急変し、個室に移り点滴と酸素吸入という状態になってしまいました。

亡くなる日の病室で私は「今日は77歳の誕生日じゃねぇ」と話しかけました。

すると、「ああ、そうじゃのう。
蓮如上人が『いつのまにかは年老(ねんろう)のつもるらんともおぼえずしらざりき』とおっしゃっておられるが、その通りじゃったのう。
だが、今日までよう生きさせてもろうたことじゃった。
もったいないことじゃったのう。
なんまんだぶつ...」と力のない、聞きとりにくいか細い声で話してくれました。

「それ、秋も去り春も去りて、年月を送ること、昨日も過ぎ今日も過ぐ。
いつのまにかは年老のつもるらんともおぼえずしらざりき。
しかるにそのうちには、さりとも、あるいは花鳥風月のあそびにもまじはりつらん。
また歓楽苦痛の悲喜にもあひはんべりつらんなれども、いまにそれともおもひいだすこととてはひとつもなし。
ただいたづらにあかし、いたづらにくらして...」(註釈版聖典・1,167ページ、「御文章」4帖4通)

蓮如上人は「何度も春秋を重ね、いつの間にか老いの身となり、かつては花鳥風月をめでたりもしましたが、今となっては、これといって思い出すこともありません。
ただむなしく暮らして老いを迎え白髪の身となったことは悲しいことです。
今に至っては〝生死出離(しょうじしゅつり)の一道(いちどう)〟であるお念仏の道以外に願うべきものはありません」と述懐しておられます。

父はこのお言葉に、自身の生涯を重ね合わせて味わっていたのでしょう。

昭和15年、母と結婚し福岡市内のお寺から入寺。
独身時代、そして結婚後、2度にわたって召集を受け戦地に赴きました。
同20年11月に無事帰還するも、2年後に6歳の長男と死別する悲しみにあいました。
その後、姉と私と妹の3人の子どもを、お寺の法務のかたわらで、なれぬ農作業にも励み、苦労しながら育ててくれました。

迷いの闇破る智慧の光
父の77年の人生は、まことに波乱にとんだ悲喜こもごもの厳しい人生でした。
しかし、そのいろんなことのあった人生を振り返ってみて「もったいないことじゃった」と言えたのは、「生死出離の一道」であるお念仏のみ教えに出遇(あ)うことができたからこそだと思います。

無礙(むげ)光如来の名号と

かの光明智相(ちそう)とは

無明長夜(むみょうじょうや)の闇(あん)を破(は)し

衆生の志願(しがん)をみてたまふ

(同586ページ)

と親鸞聖人が詠まれたご和讃のお示しの通りだと思います。

23年経った今でも、折にふれ父の最後の言葉がよみがえってきます。
そして私もできうれば、父のように自分の人生を振り返ってみて、「思うようにいかない厳しい人生だったが、もったいない人生だった」と述懐できるような人生の最後を迎えたいと思います。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/