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世界で一番大切なもの みんなの法話

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世界で一番大切なもの
本願寺新報2003(平成15)年11月10日号掲載教学伝道研究センター研究員井上 善幸(いのうえ よしゆき)二人だけの新婚旅行でこの夏、ご縁をいただいて仏前に結婚の報告をしました。
相手は大学時代に出逢った人で、十年以上の付き合いになります。
その妻と、先日、新婚旅行に行って来ました。
</p>私たちは大学の美術部で知り合ったこともあり、オーストリアのウィーンを中心にスイスやドイツの美術館を訪ねて回りました。
ツアーではなく、すべて二人だけでの旅。
毎日ガイドブックや会話集を見ながら、何とか言葉の壁を乗り越え、ヨーロッパの町を満喫してきました。
</p>旅にも慣れてくると、言葉が通じないのをいいことに、二人は心に感じたそのままを口に出すようになりました。
</p>電車の中では、「あのビジネスマンのスーツ、格好イイ」「時計もオシャレ」「それに比べて隣の人はイケてない」。
ショッピング街のショーウィンドウをのぞいては、「この値段って、ぼったくりじゃない?」。
慣れない環境で旅を続けるストレスを、言葉に変えて発散していたのです。
</p>でもお互いに言いにくいこともありました。
それは、〝言葉の通じる〟相手への不平不満です。
不思議なもので、二人が出会った最初の頃は、意見や行動パターンの違いを新鮮に感じ、それを尊重していたのですが、いつの間にか「自分と違う」ということに腹を立てていたようです。
ついには積もりに積もった感情が爆発して、衝突することもありました。
</p>何となくギクシャクした関係の中で、私は仏典に説かれる、ある話を思い出しました。
</p>自分が一番大切である釈尊が多くの説法をした舎衛城のあるコーサラ国に、パセーナディという王と、マツリカーという王妃がいたそうです。
</p>ある時、王は妃に、「この世で一番大切なものは何ですか?」と聞きました。
一国の権力も富も名声も備えた王が、最愛の妃に求めた答えは、おそらく、「王さま、あなたが一番ですよ」という答えだったにちがいありません。
でも、王妃は、しばらく考えてから、「世界中で一番大切なものは、私です」と答えたそうです。
</p>王は、さぞかし落胆したことでしょう。
</p>つづいて王妃は尋ねます。
</p>「王さまはどうですか?」</p>王もしばらく考えて、やはり同じ結論に達しました。
</p>「私も自分が一番大切だ―」</p>王は自分の考えが正しいのか疑問に思い、釈尊のもとに行かれたそうです。
ことのあらましを聞いた釈尊は、王に向かってこう説かれました。
</p>「誰にとっても自分が一番大切である。
だからこそ、自分を大切に思う人は、他人を傷つけてはならない」</p>王と妃とはいきませんが、私たちも同じように、自分のことが一番大切になっていました。
でも、その思いを相手にまで拡げていくという、〝思いやり〟の心が欠けていたのでした。
</p>阿弥陀さまに向き合い私たちは、夫婦二人がお互いに向き合って生きていくことこそ理想的な関係だと思いがちです。
でも、相手のことを見つめているようでいて、ついつい、「自分がこんなに尽くしているのに...」「自分がこんなにガマンしているのに!」「どうして私のことをわかってくれないの?」と、自分の願望や思いを、一方的に相手に押しつけていることが多いようです。
</p>「阿弥陀さまの尊前で結婚式を挙げるということは、二人で阿弥陀さまに向き合って生きていくことだ」と言われた方がいました。
阿弥陀さまに向き合い、すべてのものに真の安らぎを与えようという阿弥陀さまの願いを聞いて、相手を思いやり、自分のすがたを見つめていく。
これは何も、夫婦関係に限ったことではなく、人生の中で巡り逢う、さまざまな人間関係や出来事を通して、繰り返し味わっていくべきことではないでしょうか。
</p>まだまだいたらない私たちですが、阿弥陀さまに向き合って念仏申す中に、阿弥陀さまの願いを受けとめさせていただく毎日です。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/