一切心配はいりません みんなの法話
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一切心配はいりません
本願寺新報2003(平成15)年8月10日号掲載
布教使 波多 正宣(はた しょうせん)
誰にも負けたくない!
私は、兵庫県尼崎市の寺院に生まれ育ちました。
将来は僧侶になろうと、両親も学んだ龍谷大学に入学するのが小さい頃からの夢でした。
両親も小学生の私のために、二つの塾のほか、家庭教師も付けてくれました。
当時、大学に行くには、受験のある私立中学のほうがよいと思い、絶対に合格しようと思っていました。
この頃の私は、受験勉強の競争の中、誰にも負けたくないと思う気持ちが強く、それによってさまざまな人を傷つけました。
小学校の友人たちには、「オレは、お前らみたいに受験の無い中学には行かへん。
勉強して私立中学に行くんや」と言っていました。
本当は、私もみんなと遊びたかったのです。
しかし、両親の期待と協力を考えると、そういうわけにもいかず、みんながうらやましくて、こういう表現しか出来なかったのです。
何よりも、自分にとって、ただ今を充実した思いの中に暮らしたいという願いは、誰もが持っています。
その時の私は、両親に認めてほしいという気持ちでいっぱいでした。
また、それが小学生時代の私の充実でした。
辛い思いが暴力行為に
しかし、一寸先は闇で、自分の計画は外れることもあります。
小学六年生の三月、受験した中学は不合格になったのです。
行きたかった学校には行けず、結局私が冷やかしていた、みんなと同じ学校に通うことになりました。
この日からとても辛(つら)い日が続きました。
入学式の日に「ここはお前の来る学校と違うやろ!」と言われ、校門で袋叩きにされました。
教室の私の机と椅子は、毎日のようにどこかへ持って行かれ、弁当は窓から捨てられました。
私が小学生の時、みんなにあんな言葉を言ったからだとわかっていても、あんな辛いことはありませんでした。
そんな日々が続き、学校という集団生活をとても恐ろしく感じた私は、誰とも会話が出来なくなりました。
学校に行けば殴られ、家では両親に、「お前は努力しないだけや。
やれば出来る、がんばれ!」と言われ、誰もこの私の気持ちをわかってくれないと思っていました。
そして、その思いが家庭内暴力となったのです。
家の中のガラスを割り、父の車を壊し、両親に、「お前らのせいで、生きていく事が辛いんや!」と言いました。
今思えば、反逆者としての生活が続く中、両親は私より辛かったと思います。
しかし、その時はそう思うこともなく、それが段々とエスカレートして、両親と離れて生活しなければならなくなりました。
救わずにはおれない仏
そこで初めて一人になって考える時間が出来ましたが、どれほど考えても気持ちが楽になることはありませんでした。
そんな時、私が困らせ続けた父から一通の手紙が届きました。
その手紙をこわごわ開くと、私の目に飛び込んできたのは、私の手が震えるほどのやさしい言葉でした。
「心配は一切いりません。
ただ今までのことを、悔い改め回心することで、あなたも他の人々も幸福になります。
なにも心配してはいけません。
阿弥陀さまにお参りし合掌していて下さい」
父は私に「お前なんかどこかに行ってしまえ」と言ったのでもなく、「いつでも帰っておいで」と言ったのでもありません。
「私があなたを見捨てても、阿弥陀さまは決して見捨てません。
」―そう父が言っているように思え、私は初めて心から今までの自分の事を振り返ることができ、涙があふれました。
人は皆、それぞれに願いを持っています。
その願いと願いがぶつかり合うと、お互いがまったく見えなくなる、そんな悲しみがあります。
仏さまの願いというのは、そういう一人ひとりの願いを叶えることではありません。
自分の願いを押し通そうと、真っ暗な闇の中で迷いに気付くことなく悩み苦しむ私をたすけたい、救わずにはおれない、そして一緒に歩いて行こうと喚(よ)びかけて下さる願いです。
周りに認められることが充実だと思い、それを追い求めていた私でした。
しかし、すでに私にかけられた仏さまの願いに気付かせていただくことによって、本当の充実した人生を歩むことが出来るのでした。
今私は家族を持ち、両親と共に暮らしながら、腹を立てたり、笑い合ったりして生活しています。
そして、そんな日々をお念仏申しながら過ごさせていただいていることに、この上ない慶びを感じています。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |