操作

一人じゃないよ みんなの法話

提供: Book


一人じゃないよ
本願寺新報2000(平成12)年10月10日号掲載
平山 智正(ひらやま ちしょう)(布教使)
悲しみに暮れて
え.秋元 裕美子
私は昨年四月に五歳六カ月になる長男を病気で亡くしました。
病名は脳腫瘍(しゅよう)でした。
二月中旬頃から体調がすぐれず、病院にお世話になっておりましたが、あまり症状が改善しないことから、三月下旬に私の方から精密検査をお願いしたところ、脳腫瘍であることがわかり、専門の病院に転院し治療を受けることになりました。

診断を受けたところ、非常に危険な状態にあるとのことで入院し、翌日にとりあえず応急処置的な手術をし、四月一日に改めて腫瘍の摘出手術をしました。
二回目の手術は十二時間に渡る大手術でした。
合計二回の手術をしましたが、残念ながら四月十九日早朝に亡くなりました。

<pstyle="line-height:120%;text-indent:10px;margin-top:5px;margin-bottom:5px;">最初に脳腫瘍と知らされた時は、あまりのショックで一瞬何も考えられなくなりましたが、腫瘍にも何種類かあり、一番悪性の種類のものでなければ、手術をすれば命は取り留めることができ、一番悪性のものではないでしょうとの説明があり、生きてさえいてくれればと少し安心いたしました。
しかし、実際は一番悪性のものでした。

いく先はひとつ
長男が亡くなった日、私も家族も深い悲しみの中にあり、その悲しみの中から到底立ち上がることができない状態でした。
親類や親しい方への連絡や葬儀の準備などがあり、何とか気力を振り絞ろうとしましたが、なかなかその悲しみの中から立ち上がることはできませんでした。

そんな時、私の母が孫を亡くした悲しみに暮れていると、妻が「いく先は決まっているのですから、安心して下さい。
また遇(あ)える世界がありますから」と言いました。

さらに「もし浄土真宗の教えを聞いていなかったら、この子はどこへいくのか、どうなるのかと迷い続けたと思いますが、阿弥陀如来さまは必ず救って下さるのですから、安心してお葬儀をだしてやりましょう」と母に話しておりました。

妻がこのような話をしたのは、阿弥陀如来さまのみ教えをいただいていたからでありましょう。
私はその妻の言葉を聞いて、「ああ、そうであったなあ」と気付かされ、励まされ、悲しみの中で何とか無事葬儀を出すことができました。

後日、妻に「あの一言で私は無事葬儀を出すことができた。
しかし、なぜあなたはあのようなことが言えたのか」とたずねました。
実は、妻には亡くなった長男にもまちがいなく阿弥陀如来さまのご本願が至り届いて下さっているとの思いがあったのでした。

救いとって捨てない
それは、ある時、私たち夫婦が子ども連れでしばらく家を留守にする時のことでした。
玄関に見送りに出た私の母が、しばらく一人で家の留守番をするので何気なく孫である私の長男に「みんなが出かけると、おばあちゃんは一人になるね」と話しかけました。
それを聞いた長男は「一人じゃないよ、阿弥陀さまがいつも一緒にいてくれるから」と言ったのでした。

その会話を横で聞いていた妻は、「ああ、この子には阿弥陀如来さまがいつも寄り添っていて下さるのだ」と確信したのでした。

わが子を亡くした妻の悲しみの深さは私以上であったかもしれません。
自分ではどうすることもできない子どもの死という悲しい現実にぶつかった時、ただ頑張れ頑張れと励まされても自分の力ではそこから立ち上がる勇気も沸いてきませんし、前向きに歩み始めることもできません。

しかし、そのような状況で、妻を支え、深い悲しみに沈みそこに留まるのではなく、その悲しみに沈む自分自身を受け止め、悲しみの中から立ち上がらせて、前向きに一歩を踏み出させて下さったのは、阿弥陀如来さまのすべてのものを救いとって捨てないという、広く暖かく私を包み込んで下さる浄土真宗のみ教えに出遇っていたからこそです。

絶え間ないはたらき
親鸞聖人は『浄土和讃』に、

<pclass="cap2">十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる  (571頁)

と教えて下さいます。

阿弥陀如来さまが私が子どもの死という悲しみのどん底にいる時、はたから頑張れ頑張れと声をかけられるのではなく、この私を決して見捨てることなく、悲しみの底から立ち上がらせて下さいました。

すなわち、どんなに幼い子でも年齢を重ねたものでも、健康なものも病にふしているものも、どのような状況のものも分け隔てなく、一人ひとりの「いのち」を大切にし、その身に寄り添い、共にこの人生を歩んで下さる、恵まれたこの「いのち」を本当に生きぬかせて下さるために、絶え間なくこの私にはたらきかけていて下さっておられるのが阿弥陀如来さまでした

<pclass="cap2">仮にきて
親にあだなる
世を知れと
教えてかえる
子はほとけなり

という先人の詩があります。
長男の死を通してあらためて浄土真宗のみ教え、阿弥陀如来さまの摂取不捨のおこころをお聞かせいただいたことです。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/