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ロウソクのいのち みんなの法話

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ロウソクのいのち
本願寺新報 2009(平成21)年4月10日号掲載
宇野 哲哉(うの てつや)(中央基幹運動推進相談員)
根深く続く差別

今から87年前の1922(大正11)年3月22日、京都の岡崎公会堂において水平社が結成されました。
部落差別からの解放を願い、「人間を尊敬することによって自らを解放」することをめざし、水平社運動が立ち上がったのです。

その時、採択された『水平社宣言』を起草執筆したのは、西光万吉という奈良県の被差別部落の青年でした。
彼は浄土真宗本願寺派の僧侶でもありました。
水平社運動は、その後の宗門の同朋運動に大きな影響を与えたといわれています。

長い封建時代が終わりを告げ、明治維新の「解放令」によって被差別部落は解放されたはずでした。
しかし、差別は根深く続きました。
被差別部落の人々は世間から排除され、仕事も限定されて、日々の暮らしも貧しいままでした。
当時は、差別を受ける多くの人々が、差別を受けることは仕方がないこととしてあきらめていました。

この状況を前にして、西光は親鸞聖人の御同朋・御同行のみ教えをもとにして、「人間として誇りをもって生きるために、今こそ声を上げていこう」と考え、その願いを水平社宣言に託したのです。

私はお仏壇の前に座るたびに、この水平社宣言の有名な「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」という結びのことばを思い出します。

熱と光あたえる役目
お仏壇の荘厳(しょうごん)のひとつであるロウソクが私たちに教えてくれています。

ロウソクは、時間が経てばやがてロウが融(と)けて、芯(しん)も焦(こ)げて、火は消えて、必ず無くなってしまいます。
火がつくことは誕生であり、火が消えることを死に喩(たと)えるならば、1本のロウソクの長さは、平均寿命みたいなものでしょうか。
しかし、どれだけ長くて太いロウソクでも、急な強い風に吹かれたならば、一瞬にしてその火は消えてしまいます。
それは、どれだけ若くて健康な人でも、急な事故や病気で一瞬にしていのちを失うことと同じです。
無常の風に吹かれたなら、いのち終わってゆかねばならない。
ロウソクは、まさに、私のいのちを教えてくれているのです。

みなさんは、ロウソクの長持ちのさせ方をご存じでしょうか。
ひとつだけ方法があります。
それは、ロウソクに火をつけないことです。
このロウソクをずっとお仏壇に置いておきたいと思うなら、火をつけたらだめです。
火をつけた途端、ロウが融けて、芯が焦げて、そしてロウソクは跡形も無く消え去ってしまうからです。

しかし、ロウソクに火をつけなかったなら、ロウソクの役目は果たせません。
ロウソクは、火がついてはじめてロウソクの役目を全(まっと)うするのです。

それでは、ロウソクの役目とは何でしょうか。
私たちは、漆黒(しっこく)の暗闇の中にあっても、1本のロウソクに火を灯(とも)すことによって、その光りをたよりに歩みを進めることができます。
また、どれだけ寒く凍(こご)える中にあっても、1本のロウソクに火を灯し、それに手をかざすことによって、私たちはあたたかさを得ることができます。
つまり、ロウソクの役目とは、まわりに熱と光りを与えることなのです。

いのちに序列つけない
水平社宣言の「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」の「熱」とは情熱であり、熱あるものは「いのち」とも言い換えることができると思います。
それは、親鸞聖人が願われた普遍のいのちの尊厳、「無量寿」であります。
無量寿は限りない仏さまのいのちであり、量ることのできないいのちです。
つまり、いのちに序列をつけない、平等「水平」のいのちなのです。
そして、「光り」とはまさしく「無量光」、限りない仏さまの光であります。

1本のロウソクに私の人生を重ね合わすならば、それは、まわりの人々にあたたかさと明るさを与えるような人生ではないでしょうか。
たとえ、それが自分の身を融かし、身を焦がすことであっても、生きている限り、燃えている限りは、高らかに炎をかかげて、「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」と、まわりの人々にあたたかさと明るさを与え続ける、そんな人生を歩みたいと思います。




 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/