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ブドウと金魚といのち みんなの法話

提供: Book


ブドウと金魚といのち
本願寺新報2004(平成16)年8月20日号掲載
布教使 冨井 都美子(とみい とみこ)
鳥さんにもあげてね

ある日、庭の草取りをしていたら、四歳になった子とお父さんの声が聞こえてきました。
庭には、ブドウのつるが延びて、小さな青い実があちこちに付いています。
お父さんは、そのブドウの房に袋をかぶせようとしていたのです。

それを見て、

「僕が袋を渡してあげる!」

とお手伝い。
小さな子は、お手伝いが大好きです。
袋を一つずつお父さんに渡しながら言いました。

「お父さん、どうして袋をかぶせるの?」

「鳥さんが食べないようにだよ」

「どうして、鳥さんが食べたらダメなの?」

「優くんの食べる分がなくなるからだよ」

「そうか、でも、お父さん、鳥さんにもあげてほしいなあ」

「うん、わかったよ。
それじゃ、鳥さんが食べやすいところのブドウを一つ、袋をかけないで残してあげようね」

「うん、よかった! おとうさん、鳥さんのお父さんにも置いてあげてほしいなあ」

「うん、わかった。
じゃあ、もう一つ袋をかけないでおこうね」

「うん! よかった。
鳥さんのお母さんには?」

「うー、そうだね。
鳥さんのお父さんとお母さんには、半ぶんこしてもらおうか」

「うん、よかった! 仲良く半ぶんこだね」

「さあ、今度は池に金魚を入れようね。
そーっと、入れてね」

「うん。
お父さん、なんで池に金魚を入れるの?」

「それはね、池の中の水をよくごらん。
ほら、小さな虫がいるだろう。
これを金魚に食べてもらうんだよ」

「ええ?! お父さん、なんで金魚さんに虫さんを食べてもらうの?」

「この虫はね、蚊の赤ちゃんなんだよ。
これが大きくなると蚊になって刺すんだよ。
蚊に刺されると、かゆくて困るし、病気にもなるからね。
金魚に退治してもらうんだよ」

「へー...。
虫の赤ちゃん、なんて言って食べられるのかなあ...」

と悲しそうに言いました。

こんな息子と孫のやり取りを聞いていた私は、「優しい子に育ったねえ」と二人に声をかけました。

すると、「いつも優には名前の由来を教えて、優しい子になってねと言っているから。
だけど、僕たち夫婦だけでは限界があるよ。
ご本山の幼稚園で〝まんまんちゃん〟の教えを聞いているから、いのちの大切さに気付いてくれているのだと思う」と息子が応えました。
そして幼稚園で宗教教育をしていただいてよかったね...と喜び合いました。

おかげさまに気付くと
小さな子は、どんな小さなものにもいのちを感じ、自分と同じ目線で他のいのちを大切に思っています。
その優しい心をどう伸ばしてやるか、それは、周りの大人の役目です。

鳥さんにブドウを分けてあげたい、そんな優しいことを言ったときは、ギューっと抱きしめて、いっぱい褒めてあげましょう。

それでは、小さな虫がなんて言って食べられるのか案じている子には、どのように答えてやればいいのでしょうか?

「当たり前」「しょうがない」「虫だからいいんだ」と、そんな答えでいいのでしょうか?

阿弥陀さまの教えを聞かせていただくと、どのいのちも同じ重さであると気付かされます。
鳥も虫もお米も人間もみんな、いのちの重さは等しく同じなのだと聴いてきました。

ですが、その同じ大切ないのちをいただいて私は生きています。
他のいのちをいただかなければ、私のいのちの存在はなく、生かされていたことに気付きます。

私が生きるということは、どれだけ多くのいのちをいただくことでしょうか。

「ごめんなさい」「ありがとう」と手を合わせるしか出来ない私であります。
こうして私のいのちがあるのは、他のいのちのおかげでした。

「おかげさま」に気付くと、いただいたいのちを精いっぱいいかせるために、せめて、もったいないことはしないでおこうと思います。

阿弥陀さまに家族そろって手を合わせ、これからもいのちの大切さを語り合ってゆきたいと思います。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/