ヒロ坊の母さん みんなの法話
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ヒロ坊の母さん
本願寺新報2000(平成12)年12月20日号掲載
加藤 順教(かとう じゅんきょう)(布教使)
ウソつきクソババア
え.秋元 裕美子
「おかあちゃーん、ご飯まだかぁ」
高熱で寝ていたヒロ坊が、今朝は熱も下がり気分も良くなったのか、二階から大きな声で催促しています。
「もうちょっと待ってよぉー」とキッチンから母さんの声が返ってきました。
五、六分過ぎてもまだ朝食は運ばれてきません。
辛抱していたヒロ坊が、また階段の上から「まだかぁー」と大きな声で言いました。
その頃のヒロ坊の家は大家族。
朝のキッチンは、出勤前の兄姉、登校前の兄弟姉妹でごったがえし、まるで戦場でした。
母さんは手足を休める暇もなく、顔を二階の方に向け、「はーい、もうすぐやからね」と返事をします。
けれど朝食はなかなか届きません。
腹を立てたヒロ坊は「ウソつき、クソババア」とののしりました。
その声に併せるように母さんは階段を上ってきました。
「遅うなってごめんね」と言いながら、寝ているヒロ坊の横に座り、お粥(かゆ)をお茶碗によそう母さんの目に、涙がうっすらとにじんでいます。
ヒロ坊はその涙を見て、なんだかとても悪いことをしたのだと感じました。
ヒロ坊小学三年生の時の出来事でした。
ヒロ坊が中学二年の夏休み、自転車に乗っていて自動車と接触、そのはずみで道路の丸鉄柱に頭をぶつけて脳震とうで入院、こん睡状態が三日間も続きました。
気がついた時、ベッドの側には母さんが身を寄せて座っていました。
「ヒロ坊!わかるか、母さんよ、母さんよ!」
うつろな目でジーっと見つめるヒロ坊の手を握りしめ「あんた三日間も寝てたんよ。
よかった、よかった」と大粒の涙を流す母さんのやつれた顔を、ヒロ坊は今も忘れられません。
母さんは三日間、ベッドに添い続けていたのだと父から聞きました。
その時ヒロ坊は、少し涙を流しました。
正月迎えられんかも
ヒロ坊の母さんが体調をくずし入院したのは、八十四歳の九月初旬のことでした。
七十九歳の時、胃がんの手術を受け順調に回復していたように見えていたのですが、食事が喉(のど)を通らなくなり検査入院したのです。
「再発です。
もう手術はできません。
年を越せるかどうかというところです」
予測はしていたものの、その結果はヒロ坊にとっても辛いものでした。
「お母さんに告知しますか」との主治医の言葉に「私から告げます」と返事をして部屋を出ました。
どう告げるか、ヒロ坊は二日ほど考えました。
十月十日頃だったでしょうか、意を決して母さんに告げることにしました。
ベッドに近づき母さんの顔を見ていたら、母さんの目が"キラッ"と光りました。
「わかっているよ」という合図のように思えました。
「医者(せんせい)がお正月を迎えられんかもしれんとおっしゃっていた」と伝えたら「ウン」とうなずいただけでした。
涙を流すこともなく、あわてる様子もみせず、そのまま静かな寝息をたてていきました。
ある日、ヒロ坊の連れ合いが、「母さん、死ぬの恐くないのかなぁー」とたずねます。
「母さんの八十四年の人生は苦労ばかりだったと思う。
でもどんな時も如来さまにたずねて、如来さまに教えてもろうて生きてきた人やった。
先に往(い)った父さんや兄さん、兄弟のいる浄土へ自分もかえっていけると安心しているのだと思うよ」とヒロ坊は答えました。
十月二十日、「この一週間が山でしょう」と主治医に告げられたヒロ坊は、その足で母さんのところに行き、「もう二、三日だよ」と告げました。
前の時と同じように「ウン」と返事をしたのが母さんの最後の言葉でした。
二十二日、静かに浄土にかえっていきました。
"殺母"の罪の私
ヒロ坊は、涙をこらえながら葬儀の準備をしましたが、式の当日、内臓全部がねじ切れるようになり、その場に伏してしまいました。
何一つご恩に報いることができなかった、ということがそうさせたのだと、ヒロ坊は今も思っています。
『仏説無量寿経』に説かれる第十八願に、「唯除五逆(ゆいじょごぎゃく) 誹謗正法(ひほうしょうぼう)」とあります。
五逆(殺父(せつぶ)・殺母(も)・殺阿羅漢・出仏身血(しゅつぶっしんけつ)・破和合僧(はわごうそう)の罪人とは、他人のことでなく、自分自身のことであるとヒロ坊は知らされました。
<pclass="cap2">無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり
智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
<pclass="cap2">願力無窮(ぐう)にましませば
罪業深重(ざいごうじんじゅう)もおもからず
仏智無辺(ぶっちむへん)にましませば
散乱放逸(さんらんほういつ)もすてられず(606頁)
親鸞聖人のご和讃をいただき、「他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因
(しょういん)なり」(834頁『歎異抄』)の仰せをいただきながら、ヒロ坊は今日も往生浄土、念仏の道を、たよりない足どりながら、連れ合いと共に歩んでいます。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |