ツバメの巣立ちに思う みんなの法話
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ツバメの巣立ちに思う
本願寺新報2007(平成19)年9月10日号掲載
布教使 山岸 正史(やまぎし まさふみ)
すくいとは気づくこと
一年のめぐりは早いもので、先日、わが家では、もう二回目のツバメのヒナが巣立っていきました。
毎年のことながら、ツバメのヒナの巣立ちを通し、親子のきずなの深さ、いのちの尊さを感じます。
不思議なもので、巣の中にヒナがいる時は、ヒナの鳴き声がうるさく、早く巣立っていかないかと心の中で思っているのですが、いざ巣立っていくと、まことにさみしくて、これまた心の中で泣いております。
わが家では昔から伝統的にツバメが玄関に巣をつくってきました。
若かりし時はさほど感じなかったのですが、今、自分が六十の坂を越えてかなりたちますと、不思議なもので、そこに何かしら、いのちのつづきというものを感じます。
親鳥は、ふ化中は四六時中、一心不乱に巣の中で卵をかかえています。
それがヒナがかえると、今度は朝から晩まで餌(えさ)をヒナに、しかも各ヒナに平等に与えます。
その生き方、力強さに、自分の生き方を重ね合わせて思い、反省し、勉強させられます。
念仏のみ教えは、私たちの日常生活のすぐそばにあるようです。
要は、ツバメの子育ての姿のように、そのことに気づかされるか、気づかないか、ただそれだけのことではないでしょうか。
「救いとは気づくことなり」といわれた方がありますが、たった一度の人生、念仏を依りどころとして、心豊かに生きていたいものです。
日本海眺め法難を思う
ところで、先日、私は海が見たくなって、久しぶりに家内と一緒に愛犬を連れ、奥能登へ一泊旅行に行ってきました。
近年ペットブームで、ペットを連れての旅行は盛んなのですが、ペットも一緒に宿泊できるホテルや旅館は大変少なく、奥能登では一軒だけ見つけることができました。
夕方にホテルに着き、目の前の大きな海を眺めながら、親鸞聖人のことを思いました。
聖人は今からちょうど八百年前、京都・吉水の法然聖人のもとにおられたとき、「承元(じょうげん)の法難」により越後に流罪の身となられました。
越後では毎日、海を眺めながら生活をされたのではないでしょうか。
恵信尼さまと結婚され、家族とともに暮らされた日々の中で、聖人は大きな海に阿弥陀仏の智慧と慈悲を見られたのだと、奥能登の海を前に実感いたしました。
<pclass="cap2">そして海はまた、私たちの深い迷いにもたとえられるのです。
生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓(ぐせい)のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
(註釈版聖典579ページ)
眼前に広がる日本海を見つめながら、阿弥陀仏のふねにのせていただく身の幸せを感じました。
スローガンと生活信条
四年後には、親鸞聖人の七百五十回大遠忌法要をお迎えします。
今こそ、私たちは念仏のみ教えを力強く発揮しなければなりません。
法要のスローガンは「世のなか安穏なれ」。
世界が平和に、安穏になる教えこそ、念仏のみ教えであることを力強く伝道しなければなりません。
「念仏は人によって伝えられ、人は念仏によって育てられる」
ある布教の場で掲げられていたスローガンです。
念仏のみ教えは、まず、私自身が念仏申す身にならせていただくこと、そして念仏者に私がならせていただくことです。
私のお寺では、三月から九月まで毎月十九日に常例布教を行っております。
今日まで十数年が経過しますが、お聴聞される方々の表情に変化を感じます。
身も心もやわらかくなってくるように思うのです。
浄土真宗の利益(りやく)は、必ず生活の上にあらわれてくるといわれますが、今、本当にそのことを感じます。
「浄土真宗の生活信条」の一番目には「み仏の誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます」とあります。
これをしっかりと私たち一人ひとりの「信条」として、力強く親鸞聖人七百五十回大遠忌をお迎えしたいと思います。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |