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ダイエット みんなの法話

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ダイエット
本願寺新報2005(平成17)年9月10日号掲載
東京・延立寺住職  松本 智量(まつもと ちりょう)
毎日グラフに記録する

知人の結婚式のため久しぶりに礼服を着ました。
すると、思いっきりお腹をへこまさないとズボンが入りません。
やっと披露宴に出席したものの、これではせっかくの料理も楽しめず、しまいにはめまいさえ覚えてしまいました。

帰宅して体重計に乗ってみると、なんと八十六キロ。
自分史上最高体重です。
これはやせなくちゃだめだと、減量法を探しました。
実は私、これまでも、いろいろな健康器具を買ってダイエットを試しては挫折(ざせつ)してきた歴史があるんです。
ダンベル、エアロバイク、トレーニングボール・・・。
どれも効果は期待できそうでした。
ただし継続すれば。
それができなかったんです。

そんな飽きっぽい私にも継続できる、楽で、効果のある減量法はないものか・・・・・・あったんです。
食事制限なし、運動も特にしなくていいというダイエット法が。
そんなうまい話があるわけがない、でもものは試し、と実行してみると、実に、二ヵ月後には八十キロを割りました。
ホントですよ。

そのダイエット法は「体重計ダイエット」。
これは以前NHKの番組「ためしてガッテン」や、雑誌「暮らしの手帖」で紹介されたものです。
やることはただ二つだけ。
毎日朝晩二回、決まった時間に体重を量ること。
そしてその数値をグラフに記録すること。
ただそれだけで本当に体重が二ヵ月で六キロ減ったのです。

無意識の中で自己管理
体重計は百グラム単位まで量れるものを使います。
その数値をグラフにつけていくと、自分の体重が日によって上下していることが目に見えます。
大幅に増えた日はグラフの横に言い訳を記入します。
昨日は家族のお祝いがあった、友人との宴会があった、という具合に。
そうして日が経つうちに、グラフの線がだんだん右肩下がりになっていきました。

ではなぜ体重をグラフにつけるだけで減量できたのでしょうか。
それはまず第一に「目にする」ということが大事なのだと思います。
自分の体重の変化を毎日目にして、それを意識に上らなくなるまで日常化する。
すると、無意識のうちに大食や間食を控えたりといった自己管理が出来てしまうのでしょう。

体重が増えた時の言い訳をグラフに書き込むのも、無意識に自己管理を促進する役目をしているのです。

仏壇があるありがたさ
「ふだんから目にする」ことの意味の大きさを思い知った私は、そのことから、家庭にお仏壇を安置することの有り難さ、朝夕のお参りの大切さを思いました。
現在、核家族が当たり前の時代となり、お仏壇のない家庭も増えています。
一方で、浄土真宗は「信心」がもっとも大事だからと、日々のお参り、おつとめが軽視される傾向があるようにも感じます。
また、阿弥陀さまはいつでもどこにもいらっしゃる、わざわざお仏壇を迎える必要はないのでは、というお尋ねもありました。

しかし、そこには、ややもすると、み教えを表面だけ、あるいは心の中だけ、頭の中だけで理解したつもりで済ませてしまいがちな私たちの姿があるのではないでしょうか。
それは結果的に阿弥陀さまのはたらきを自ら狭小化することにつながっていると思います。

「宗教は心の問題」というのは間違いとまでは言えないでしょうが、私たちは自分の心を自分で問題としながら、往々にしてただ心をこね繰り回しているだけで、かえって悩みを深めていることがほとんどではないでしょうか。
まさに親鸞聖人が「行(ぎょう)に迷(まど)ひ信(しん)に惑(まど)ひ、心昏(くら)く識寡(さとりすく)なく」(註釈版聖典131ページ)とお示しの通りです。

本当に問題とすべきなのは心ではなく、心を問題としている私そのものなのです。
そもそも、阿弥陀さまが常にわが身を案じて下さっていることをしばしば忘れてしまい、危うい日暮らしを続けているのが私の実情です。

何よりあてにならない私の全体を問題とした時、すぐそこに合掌する空間があるということがどれだけ大きな意味を持つことでしょうか。
グラフに伴走されてダイエットができた私は、人生の伴走をして下さる阿弥陀さまが身近にご安置されていることに、あらためて頭が下がりました。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/