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もうすぐ3月 みんなの法話

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もうすぐ3月
本願寺新報2005(平成17)年2月20日号掲載
千代田女学園宗教科講師  竹柴 俊徳(たけしば としのり)
親鸞聖人の生涯に学ぶ

私は宗門校の東京・千代田女学園に宗教科の教員として奉職しています。
中高一貫教育ですから、入学時には小学校を卒業したばかりのひな鳥のような生徒たちが、六年という歳月を経て卒業する時には立派な羽を持って旅立つその姿を、毎年感慨深く、また頼もしく感じながら見送っています。

例年、高校二年生では主に親鸞聖人のご生涯を通して授業を行います。
九歳での得度とその後の二十年間の比叡山での厳しい修行。
六角堂への参籠(さんろう)と法然上人との邂逅(かいこう)。
これらを通じてわれわれが生徒に教えられることとは何でしょうか。

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比叡山での厳しい修行の毎日の中、若き日の親鸞聖人は自分の心に巣くう煩悩の闇の深さを思わずにはいられませんでした。
「日々の修行は煩悩を断つためなのに、私にはその兆しがいっこうに見えない」―そんな思いに加え、比叡山という環境にあっては、おそらくそのような悩みを口に出すことも憚(はばか)るべきことだったのでしょう。

二十年という修行と苦悩の歳月を送られた聖人は、意を決して比叡山を下りられ、救世(くせ)観音の信仰が篤かった京都の六角堂に参籠し、不思議な夢を見ます。
そしてその夢に導かれるように、吉水(よしみず)でお念仏の教えを説かれていた法然上人のもとに向かわれたのです。

おそらく聖人は「阿弥陀仏は煩悩具足のわれらを救いとってくださるのだ」という法然上人の教えをすでに耳にされていたのでしょう。
その教えは、それまでの比叡山の修行とは大きく異なり、「阿弥陀仏の誓願をそのままいただき、念仏させていただく、ただそれだけです」というものでした。
聖人はこの簡明(かんめい)な教えを驚きをもって聴かれたことでしょう。

しかし聖人はすぐにその門下に入ったわけではありません。
百日間、雨の日も炎天の日も熱心に通われ、真剣勝負をされたのだと思います。
そして「たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ」(「歎異抄」註釈版聖典832頁)という言葉のように、その生涯をお念仏とともに歩まれるようになったのです。

阿弥陀如来に照らされたわが身は、相変わらずの煩悩の影の濃さ、闇の深さです。
それは
「悲しきかな愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海(こうかい)に沈没(ちんもつ)し、名利(みょうり)の太山(たいせん)に迷惑(めいわく)して、定聚(じょうじゅ)の数(かず)に入(い)ることを喜ばず、真証(しんしょう)の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざることを、恥(は)づべし傷(いた)むべしと」(同266頁)
という言葉に示されています。
しかしそのことは同時に、
「そのような煩悩の身であるからこそ救わずにはおかない」
という阿弥陀仏の誓願の声がいたり届いた中にあっては、
「慶(よろこ)ばしいかな、心を弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶつじ)に樹(た)て、念(おもい)を難思(なんじ)の法海(ほうかい)に流す」(同473頁)
という慶びに転ぜられます。
「悲しきかな」が同時に「慶ばしいかな」であるという、このパラドックス(逆説)の中に念仏の教えの真髄があり、同時にその念仏に生きられた親鸞聖人のよろこびが読み取れるのです。

素晴らしい出会いを
『いま見てきたように、親鸞聖人は絶望の中、のちの人生の支えとなるお念仏(「南無阿弥陀仏」)に法然上人を通して出遇(あ)われました。
ここで私が君たちに言いたいことは、君たちも、人生において素晴らしい出会いをしてもらいたいということです。
人生には大きな壁がいくつもたちはだかっています。
そんな壁にぶつかった時、自らを勇気づけ、支えてくれる何かを持っていてほしいと思います。

それは難しいことではありません。
洋の東西を問わず、多くの先人が残した言葉や詩の中からでも、自らを勇気づけてくれる言葉にきっと出会えるはずです。
流行の音楽の歌詞でもいいと思います。
それが親鸞聖人にとっては法然上人との出会いであり、「南無阿弥陀仏」という言葉だったのです』

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このように親鸞聖人のみ教えに学ぶ授業を受けた生徒も、それから一年もすると卒業を迎えます。
その間、生徒たちはどんな出会いをし、こころの支えを見つけていくのでしょうか。
もしかするとそれはお念仏かもしれません。
そのことを私は願わずにはおれません。
もうすぐ巣立ちの三月です。


〔お詫び〕本法話は、2005年3月に初回登録いたしましたが、2006年2月に再登録を行なった際より、執筆者肩書の末尾に記号の「?」が表示されておりました。
不要な記号でありますので削除いたしましたが、掲載期間中、作者ならびに関係者、ご利用の皆様にご迷惑をおかけいたしました点を深くお詫びいたします。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/