み親とともに みんなの法話
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み親とともに
本願寺新報2001(平成13)年1月20日号掲載
角 道宏(すみ どうこう)(布教使)
〝人生は苦である〟
え.秋元 裕美子
『大無量寿経』の中に、
<pclass="cap2"> 見老病死
悟世非常
棄国財位
入山(にゅうせん)学道
―老・病・死を見て世の非常を悟る。
国と財と位(くらい)を棄(す)てて山に入りて道(どう)を学す―(4頁)
と、お釈迦さまの出家の様子が出てまいります。
仏教の出発点がここに示されているといってもよいでしょう。
そして六年間のご苦労の後、菩提樹の下で仏陀となられたお釈迦さまは、老・病・死を見つめ、世の非常(無常)を悟り、私たちに答えを示されました。
「人生は苦である」―思い通りにならないよと。
まさしくその通りです。
私たちの苦悩は、思い通りにならないことを何とか思い通りにしようとするところから生じるといってもよいでしょう。
「老・病・死」のなかに生きながら、何とか「老・病・死」から逃れたいともがいているのが、私たちの生きざまです。
その思いの中身は「老・病・死が不幸である」という見方です。
ある先生は「老・病・死が不幸であるならば、どんな人生も不幸の完成で終わる」、また、その生きざまは「老いによってしぼみ、死によって滅んでいく人生である」と言われました。
それこそ空(むな)しく過ぎる人生ではないでしょうか。
しかし、お念仏に出遇(あ)った人生は「老いによってしぼまず、病によって傷つかず、死によって滅びない人生」に転じられていくことだと、その先生は結ばれました。
<pclass="cap2">お釈迦さまによって明らかにされた阿弥陀さまのはたらきは、この私の生死の解決です。
本当の〝ご利益〟
小学生の女の子の『おち葉』という詩です。
<pclass="cap2">おちてくるね
あっちもこっちも
木からはなれたばっかりの
新鮮なおち葉だね
また、こういう詩もありました。
<pclass="cap2">きれいだね
おち葉の花が
いっぱい咲いている
目から鱗(うろこ)でした。
私も、もし長生きをして年をとったら、濡れ落ち葉ではなく、新鮮な老人になりたいと思うところです。
あるお寺の掲示板に、
<pclass="cap2">病気が治るのがご利益ではない
どんな病気になってもいただいたいのちを生き抜くことができる
これがご利益だ
と書かれていました。
私たちは縁があれば、どんな病気にもなります。
病気をかかえて生きていける人生、本当に力強いことです。
また、「臨終はこの世の卒業式、お浄土の一年生」と喜ばれた方がおられました。
いつか娑婆(しゃば)の縁尽きる私たちは、阿弥陀さまのはたらきによって必ずお浄土に往(ゆ)き生まれさせていただくいのちを賜(たまわ)るのです。
絶対見捨てぬ親
阿弥陀さまは、この私が縁あってどんな人生を送ろうとも、どんな死にざまをしようとも「絶対に見捨てぬ、必ずすくう」と誓われ、南無阿弥陀仏という六字のお名前の中に、この私がすくわれる全てのてだてをご用意なされ、私の口から飛び出て下さるお念仏となって阿弥陀さまの方から至り届いて下さいます。
「一子地(いっしじ)」―わが一人子よという親の名告(なの)りをもって親心となって至り届いて下さるのです。
浄土真宗はご安心(あんじん)をいただくみ教えです。
親鸞聖人は「釈迦・弥陀は慈悲の父母(ぶも)」(591頁)と喜ばれました。
ここにどんなことがあっても絶対見捨てぬ親がいるよ、その親心の中で人生を生き抜いておくれ、と私を包んで下さいます。
阿弥陀さまは安らぎの心を与えたいとはたらいて下さる仏さまなのです。
われわれ凡夫の親は、縁があればどのようにも変わり、また何をしでかすかわからない存在です。
<pclass="cap2">私は生きるために生まれてきた
親におこられるために生まれてきたんじゃない
親っていうのは
木の上に立って子どもを見るって書くんだよね
お父さんは木の上に立ってない
子どもの上に立ってる
『お父さんへ』と題した五年生の子どもの詩です。
この詩を読んで思わず唸(うな)ってしまいました。
「お父さん、おこらないで、しかってよ」という詩にも出遇いました。
自分の感情にまかせておこってばかりいる私です。
この凡夫の親のところに、絶対間違わぬ真実の親がここにいるぞと喚(よ)び続けの阿弥陀さまです。
「荷負群生」<群生(ぐんじょう)を荷負(かぶ)し>(7頁)というお経の言葉があります。
阿弥陀さまは私のところに親心となって至り届き、私を背負って下さいます。
お念仏に出遇う前の私の足跡のうしろには「いつでもいだきとるぞ」と阿弥陀さまの足跡がついていたのです。
そして、お念仏申す身となってからの私の人生には、私の足跡ではなく、阿弥陀さまの足跡しかついていないのです。
阿弥陀さまのお慈悲に背負われて阿弥陀さまとともに、老・病・死をかかえてお浄土に向かって生きていくのです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |