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みんな仏の子 みんなの法話

提供: Book


みんな仏の子
本願寺新報2001(平成13)年3月1日号掲載
西脇 真(にしわき まこと)(布教使)
先生になりたい

え.秋元 裕美子
私に春を運んでくれたお話です。
その年、中学校を卒業したばかりの仏教青年会会員と、お祝いの夕食会に出かけました。
まだどことなくあどけなさが漂う乙女六人。
中学の三年間、ほとんど休まずに毎月の例会にお寺へ通ってくれたメンバーです。
食事をしながら一人ひとりに将来の夢を語ってもらいました。

「私は警察官になりたいです」「私はファッション関係の仕事がいいな」「私は旅行会社の添乗員になって世界中を飛び回るの」―― 皆、目を輝かせて話してくれました。

ところが、一人T子さんだけが下を向いて黙っているのです。
私が「言いたくなかったら言わなくてもいいよ」と言うと、その場は話が別の話題になりました。

食事の後、ボーリングをして帰りが遅くなったので、遠くから来ている三人を車で送っていきました。
最後にT子さんが残りました。
食事の時のことが気にかかっていたので「T子は将来なりたいものはないの?」と再度尋ねてみると、少しためらいながら話してくれたのです。

「私は中学校三年間、勉強ができなくてとてもつらい思いをしました。
学校の先生や友達から三年間、落ちこぼれと言われ続けたんです。
そのことが本当に悲しかったので、将来は勉強のできない子どもの気持ちのわかってあげられる学校の先生になりたいんです。
だけど私、なれるかしら...」

思いがけない言葉になんと答えていいのか...。
学校ではこんな優しい子を落ちこぼれと言うんでしょうか。

「T子は落ちこぼれなんかじゃないよ。
かけがえのない仏の子だよ」と言いながら、私は泣けてきました。

浄土のはたらきが
『阿弥陀経』の中に「青色青光(しょうしきしょうこう)・黄色黄光(おうしきおうこう)・赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)・白色白光(びゃくしきびゃっこう)...」というお言葉があります。
阿弥陀さまのさとりの世界である極楽浄土では、青い蓮華の花は青い光を放ち、黄色は黄色、赤は赤、白は白と皆それぞれに光輝いて咲いているというのです。

きっと阿弥陀さまのさとりのまなこでご覧になったら、人は人それぞれに、その人にしかない光をもって輝いているのでしょう。
勉強のできる子も、できない子も、身体の強い子も、弱い子も、みな光り輝いている。
ダメないのちだとか、余分ないのちだとか、落ちこぼれのいのちなど一人もいないのでしょう。
すべてのいのちが、かけがえのない仏子なのです。

阿弥陀さまは私たちを光り輝くお浄土へ生まれさせたいと願っていらっしゃいます。
その願いを本願といいます。
阿弥陀さまがそういう願いを起されたということは、逆にいえば、私たちが阿弥陀さまの世界とは真反対の世界に生きているからでしょう。

光り輝いているはずのいのちを、自分勝手なものさしで優劣をつけ、差別をし、ほめたり、けなしたりして、それを本当だと思い込んで生きています。
その私の思い込みを「それはおまえの妄念が描き出した虚構だ」と破ってくださるのがお浄土のはたらきだったのです。

祖母の身業説法
もう随分前の話です。
母方の祖母が肝臓がんで亡くなりました。
子どもの頃から私をことのほかかわいがってくれた祖母でしたが、三十代で夫と子どもに先立たれ、苦労の多い人生のようでした。
亡くなる十日程前に見舞にいきました。
病室を四人部屋から一人部屋に移された日のことです。

「お庭の見えるいい部屋だね。
おばあちゃん。
がんばってね。
花の咲く頃にはよくなるよ」と、私は励ましのつもりで声をかけました。

すると、衰弱しきっていたはずの祖母が厳しいほどに目を見開き、私の顔をジッと見て「この部屋に移されたら終着駅よ。
私ね、もうすぐお父さんと敏見のところへ往(ゆ)くのよ。
仏さまの国へ参らしてもらうのよ。
ナンマンダブ...」とかすれ声でつぶやきました。

そのころ高校生だった私には、祖母の言った言葉の重みがわかりませんでした。
しかし、今になって思います。
この世のいのちを終えなければならないという時に、なつかしい夫が待っている、先立った子どもが待っているお浄土に参らしてもらうんだとお念仏していてくれた祖母は、逆にいのちがけで私を励ましていてくれたのですね。
私に無上の身業説法をしてくれていたのです。

「おばあちゃん、ありがとう。
ナンマンダブ」

<pclass="cap2">この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。
あなかしこ、あなかしこ
『親鸞聖人御消息』(註釈版聖典785頁)

お浄土は私たちの迷いの闇を破ってくださる光の淵源(えんげん)ですが、同時に私たち念仏者にとっては先に往ったなつかしい人々が仏さまとなって待っていてくださる世界であり、かえるべきいのちの故郷なのです。

お浄土の光を浴びながら、お浄土をめざして生きる宗教、それが浄土真宗です。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/