みんなちがってみんないい みんなの法話
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みんなちがってみんないい
本願寺新報2008(平成20)年4月10日号掲載
音楽家(熊本・普賢寺門徒) 春日 信子(かすが のぶこ)
魚と人の命平等にみる
以前、楽器店に立ち寄った時、たくさんの本棚の中から、ふと一冊の本が目にとまりました。
その本には、中田喜直作曲、金子みすゞ作詩による童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」と書かれていました。
みすゞさんの詩にはやさしさだけでなく、さびしさや切なさが素直な言葉で詠(よ)まれています。
早速買い求め、急いで家に帰り、ピアノの前に座りました。
中田先生の曲は、単純な旋律の中にも深い色の和音があり、その素晴らしさに思わず、みすゞさんの詩を歌っていました。
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯(おおばいわし)の
大漁だ。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。
(大漁)
私は今まで、魚と人間の命を同等に見ることなど、思ったこともありません。
どんな小さなものにも"いのち"があるのだと歌ったみすゞさんの詩は、私の心の中に一つの灯(ともしび)をともしました。
そして、この「ほしとたんぽぽ」を全曲歌ってみたい、みすゞさんの生誕百年を私のリサイタルでやってみたいと思ったのです。
けれど、リサイタルまであと一カ月という時、私は過労で倒れてしまいました。
阿弥陀経に青色青光・・・
高熱と激しい痛みに襲われ、すぐ入院しなければなりませんでした。
激しい痛みのために光も音も受け付けなくなりました。
「このままではリサイタルを延期しなければいけない」「だめかもしれない」と私の心の中は不安と焦燥感でいっぱいになりました。
入院して十日たちました。
身体も落ち着きを取り戻した頃、あらためてみすゞさんの詩を読みました。
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんの唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
<pclass="cap4">(私と小鳥と鈴と)
私は病床で気弱になっていたのか、目がうるんでしまい一すじの涙がこぼれました。
その時、京都に住む姉が私に言っていた言葉が思い出されました。
「阿弥陀経というお経の中に青色青光(しょうしきしょうこう)、黄色黄光(おうしきおうこう)...と説かれているの。
これは青い色は青いままに光り、黄色い色は黄色のままに光り、それぞれ素晴らしく光かがやいているということ。
だから、のぶちゃんはのぶちゃんのままでいい、一人一人みんな違うからいいのよ」
姉の言葉とみすゞさんの詩―。
私は今まで上手に歌おうと思いすぎていたのではないか、テクニックに頼ろうとしていたのではないだろうか...。
見えぬ物もあるんだよ
みすゞさんは波乱に満ちた短い人生を送り、自らの命を絶ってしまわれました。
残されたみすゞさんの詩の中には、すべての生きとし生けるものに注がれている計り知れない愛情が感じられます。
私は私として、みすゞさんの詩を歌ってみようと強く強く思いました。
そうしてリサイタルの三日前にやっと退院することができたのです。
リサイタルの当日、二つ目のプログラムがみすゞさんの歌でした。
夫の朗読とともに私の歌が始まりました。
舞台のあでやかな光に包まれて歌い出した時、私の中に何か大きな力が湧き出し、そして、その世界の中でみすゞさんと心の対話ができたと感じられたのです。
リサイタルは無事に幕を閉じることができました。
私は周りのさまざまな人々に支えられながら、このリサイタルを終えることができました。
「人は一人では生きていけない、みんなで支え合いながら生きていくんだ。
でも、みんなちがってみんないい」というみすゞさんの詩をかみしめながら、これからも歌い続けて行こうと思っています。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
(詩=JULA出版局)
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |