また お浄土で 会おうね みんなの法話
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またお浄土で会おうね
本願寺新報2008(平成20)年4月1日号掲載
佐賀・光蓮寺住職 山内 教圓(やまうち きょうえん)
涙ながらに救いを喜ぶ
「おかげで別れができました」
六十半ばの女性の方が、涙ながらに語ってくださいました。
その町内には、お寺が六カ寺ほどあり、熱心なご門徒の方々が多く、どこのお寺へも足を運ばれるようなご法義の地です。
この女性も、ご夫婦で聴聞に来られる方で、法座が終わる日には必ず二人で挨拶に来てくださいました。
そんなある時のこと―
「始まりましたもん」
「何がですか」
と尋ねると、ご主人の視線を遮(さえぎ)るように手で口元を隠し、声を出さずに口の動きだけで〝ボ・ケ〟(認知症)と表現されます。
「アラー」と言いますと、「裏木戸でガンと頭を打ち、ヒックリ返り入院しました。
よほど打ち所が悪かったのでしょうか」と言われました。
それからお会いする度ごとに、症状が悪くなられていく様子を話されます。
「〝今日は私だけ挨拶に行ってくるね。
お父さん本堂で待っといて〟と私だけ参りました」
「今言った事をすぐに忘れるようになりました」
「今日は娘に留守番に来てもらって私だけお参りに来ました」
「とうとう入院させました」...。
そして、ついに「おかげで別れができました」とおっしゃったのでした。
誰が先かはわからない
「入院し、体力が衰え、痩(や)せて、もう長くないと思うようになった時、〝お父さん、またお浄土で会おうね〟と言わなければと思っていましたが、これを言えば〝ああ、俺はもうそう長くないのだなぁ〟と思うだろうと気をもみ、なかなか言えませんでした。
ところがある日、バスで病院に向かっている時、乗用車が飛び出してきて事故になりました。
おかげでですネェ。
かねてのお聞かせ通り、主人が先に往(ゆ)くものと決めておったが間違っておった。
一歩間違えば私が先に死ぬのだったと気付かされました。
主人の部屋は六人部屋で、看護師さんもおられましたが言いました。
『お父さん、今日バスで病院に来る時、乗用車が飛び出し事故になり、私は死ぬところだったのよ。
私が先か、お父さんが先かわからないね。
でもよかったネ。
阿弥陀さまのお救いに遇(あ)えとって...』
すると、主人が〝俺はもう忘れたもん〟と言いました。
『よかやんね。
こっちが忘れとっても阿弥陀さまが間違わさんというお救いやったろうが...』と言うと〝ウン〟とうなずきました。
『お父さん、また、お浄土で会おうね』と言いましたら、主人が右手でシッカリ私の手を握ってくれました。
おかげで別れができました」
信心定まり往生定まる
すばらしいお別れの会話をお聞きし、臨終の善し悪しを問わない阿弥陀さまのお誓い、「必ず救う我にまかせよ」のお救いの有り難さを思うことでした。
このような臨終の会話は、いざとなるとできそうでできないものです。
やはりかねてご夫妻で聴聞なさっておられたからこそ、このような会話ができたのだと思います。
「信心の定まるとき往生また定まるなり。
来迎(らいこう)の儀則(ぎそく)をまたず」
(註釈版聖典版735ページ)
阿弥陀さまのお救いに疑い晴れ、信じ、おまかせしたその時にもう、お浄土に救われ仏になる身の上に定めてくださるのです。
人情でいう死にざまの善し悪しは問題ではないのです。
おかげさまで、おまかせし大安心の中にこの人生を生きていけます。
それも「この心すなわち他力なり」(同581ページ)と示されるように、阿弥陀さまの独りばたらきによって信ずる心も、念仏申す心もご用意されていたのです。
満開の桜の花を、私が見て、私が感動して、私が「わぁー、きれい」と言います。
しかし、桜が咲いていなければそのような言葉は出ません。
桜の花の噂を聞き、誘われ花見に行き、感動させられ「わぁー、きれい」と言わしめられたのです。
人が集まるようになり、観光地となり、駐車場や食堂、土産品店などができるのも、そのもとは桜の花の力、きれいさにあったのです。
私が信じ、朝夕のおつとめ、お供え、ご恩を思う日暮らしをすることも、阿弥陀さまの切なる願いの「おはたらき」の中にお育てを受けていたのです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |