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まことの安らぎ みんなの法話

提供: Book


まことの安らぎ
本願寺新報2001(平成13)年1月10日号掲載
高松 俊景(たかまつ しゅんけい)(京都・證行寺衆徒)
ふたりの母親

え.秋元 裕美子
昨秋からはじまった朝のドラマは、私の地元・京都太秦(うずまさ)が舞台です。
だからというわけではないのですが、出勤前の慌ただしい時間にもかかわらず、毎日欠かさず見ています。

主人公は、女優を志す十八歳の女性で、彼女には二人の母親がいます。
一人は、老舗旅館の女将で(おかみ)で、主人公から「お母ちゃま」と呼ばれていますが、彼女とは血縁関係はありません。
しかし、実母に勝るとも劣らない深い愛情を主人公に注ぎます。

一方、「ママ」と呼ばれる実母は、東京大空襲で両親をなくしたこともあり、自分の子どもには、芯の強い自立した人間に育って欲しいと願います。
ヒロインの教育方針をめぐり、この「ママ」と過保護の「お母ちゃま」が、ことあるごとに衝突します。
いわば、親心と親心のぶつかり合いです。

二人の母は、共にヒロインのしあわせを願うがために悩み苦しみます。
また、どちらの母親の言い分にも、自分に対する深い愛情を強く感じる幼年期のヒロインは、二人の親心の板ばさみになり、小さな心を痛めることになるのです。

一般に、子どもに対して健康であって欲しい、できれば良い学校に行って欲しいと願うのが親心というものです。
けれども、それがほんとうに子どもにとってしあわせなことなのでしょうか。

御仏のみぞまこと
先日、二〇〇〇年の流行語大賞が発表され、そのトップテンに「十七歳」という言葉が選ばれました。
豊川の主婦殺害事件、福岡―広島間でおこった高速バス乗っ取り事件、岡山のバットによる母親殴殺事件。
昨年起きたこれらの凶悪な事件は、そろって犯人の年齢が十七歳であったことから「十七歳」がキーワードとなり、少年法改正の論議とともに、多くのメディアで取りあげられました。

このような事件を起こした少年たちのことを「あんな真面目で聡明な子が、こんな事件を起こすなんて信じられません」という隣人は少なくありません。

子どもに対して健康であって欲しい、できれば良い学校に行って欲しいと願うことは、逆に、病気の子どもは駄目、良い学校に入れなければ駄目、と言っていることにはならないでしょうか。

このような見方は、子どもにプレッシャーを与えることになりますし、また、自分自身ではどうすることもできない病気の子どもに対しては、生きていくことを否定することにもなりかねません。
ですから、このような見方は明らかに誤りであるといわなければなりません。

親心といえども結局、このような人間の誤った考え方から出発しているのです。

親鸞聖人が和国の教主と尊崇された聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」といい、世俗的な願望を追及して生きる人生が誤った生き方で、それを越えた仏の教えにしたがって生きる道が、ただ一つの正しい生き方であると教えられています。

また、『歎異抄』にも「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします(853ページ)というお言葉が遺されています。

愛情超えた平等心
私たちは、知らず知らずのうちに、一方を否定することによって、他方を善と定めてはいないでしょうか。
そして、自らがつくりだした「善なるもの」に執(とら)われ、逆に苦しみ悩み傷つけあいながら生きているのではないでしょうか。

このような願望に縛られた人間のものの見方を親鸞聖人は「虚妄顛倒(こもうてんどう)の見」と示しておられます。

<pclass="cap2">罪業もとよりかたちなし
妄想顛倒のなせるなり
心性もとよりきよけれど
この世はまことのひとぞなき
(619頁「正像末和讃」)

真実にそむく誤った考え方しかできない私が、本来区別のないものを勝手に虚妄分別し、悪であるとか善であるとか、非であるとか是であると見定め、それを出発点として、子どもや家族のしあわせを考えようとするのです。
けれども、そのことがまた、子どもを苦しめ、自分自身を悩ませ、さらには傷つけあうことにもなっていくのです。

普通、親子といえば家庭のなかでの親子関係を考えますが、私たちは阿弥陀さまを親さまとお呼びしています。

阿弥陀さまは、虚妄顛倒の見方しかできない私を憐れみ、一人ひとりに救われてくれよと願っていてくださるからです。

それは、愛情や憎しみをこえた平等のみこころです。
争いや衝突のないまことの親心なのです。

私たちはいま、阿弥陀さまの平等の親心によって、かけがえのない「ひとり子」として大切に抱き摂(と)られています。

どこまでも人間をこえたまことの親心に包まれて、はじめて、私たちはまことの安らぎを得させていただくことができるのです。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/