ね、お寺へ行こうよ みんなの法話
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ね、お寺へ行こうよ
本願寺新報2001(平成13)年2月10日号掲載
北島 清秀(きたじま せいしゅう)(布教使)
友達つれてきていい?
え.秋元 裕美子
ある日、高校生の女の子がお寺を訪ねてきました。
修学旅行中にグループ活動をする時間があるそうですが、本願寺をぜひコースの中に予定したいとの相談です。
彼女の名前は千恵ちゃんといいます。
赤ちゃんの時から、おじいちゃん・おばあちゃんに連れられてお寺へ来ていました。
小学校に入ってからは、夏休みのサマースクールに参加するようになりました。
「ね、来年、学校の友達を連れてきていい?」と千恵ちゃん。
「うん、いいよ。
たくさん連れておいで」と言うと、本当にたくさんの友達を連れてきてくれました。
「だって、自分が楽しいと思うことを友達にも思ってもらいたかったんだもの」とは、何気ないことですが、とても大切なことです。
それからもお寺で行事がある度に、よく友達を連れて遊びに来てくれたものです。
修学旅行でも自分のグループの友達に「ね、本願寺に行こうよ」と提案したのでしょう。
お念仏の人生を歩まれた親鸞聖人は、お釈迦さまから七高僧さまをとおしてお念仏が伝わってきたことを教えてくださっています。
お念仏を勧めてくださる「はたらき」があったからお念仏に出あうことができたのです。
勧められ、誘われて出あうことの大切さを教えてくださっています。
私たちがどうしてお念仏に出あえたのか振り返ってみましょう。
親から伝えられたのでしょうか。
友人から勧められたのでしょうか。
環境に育てられたのでしょうか。
我が子に教えられたのでしょうか。
それぞれの人にそれぞれのご縁があり、今、お念仏をいただいている確かな私がここにいるのです。
「ね、お寺へ行こうよ」
きっとまた千恵ちゃんは友達を誘ってお寺へ遊びに来てくれることでしょう。
親から子どもへ
はやりすたりの流れが速い昨今、昔から伝えられ残っているものがどれだけあるでしょうか。
もう、二年以上前になりましたが、蓮如上人五百回遠忌法要の団体参拝で出会ったバスガイドさんはとても楽しい方で、京都のおみやげについてこんなお話をされました。
「大人へのおみやげは、心がこもっていれば何でも喜んでもらえます。
でも、小さな子どもさんへのおみやげはそうはいきません。
いくら京都だからといって『五重の塔の扇子』や『金閣寺の絵皿』などはお勧めいたしません。
男の子だったら『ピカチュウ』女の子だったら『キティちゃん』、これをおみやげにお勧めいたします」
「京都のおみやげだよ」とキティちゃんのエプロンを渡したとき、姉妹そろって大喜びしてくれた娘たちの姿を見て、どれほどバスガイドさんのお勧めに感謝したことでしょう。
昔からある「キティちゃん」ですが、なぜ近年になってこれだけ人気が出てきたのでしょうか。
いろいろ考えられるでしょうが、自分の周りを見てみますと、キティちゃんの大好きな子どものお母さんもキティちゃんの大ファンである場合が結構あります。
キティちゃんは誕生から二十六年あまり経っているそうですが、これは、その当時子どもだった人が母親になっている年数です。
自分が大好きだったものを自分の子どもにも持たせてやりたい、と思うのは親の素直な気持ちでありましょう。
同じように、世代を越えて伝えられている人気者に「ミッキーマウス」がいます。
彼は誕生から七十年以上経過していますが、これは、親から子、子から孫、さらに次の世代、というような年数でしょう。
ディズニーランドは小さな子どもからご年配の大人まで楽しめるところだと聞いています。
なるほど、どの世代の人にも受け入れられる伝承がすでにできあがっていたのです。
お念仏の声を次の世代へ
お寺も、実はいろいろな世代が集うのにとても似合う場所だとは思いませんか?
報恩講の折り、ある方が懐かしそうに、「昔の報恩講は賑やかでしたよ。
大人だけじゃない、子どももたくさんお参りされていました。
親から『報恩講に参るとごちそうがいただける』『お寺に行くと美味(おい)しいお菓子がいただける』と言われながら、それが楽しみで私もお参りしたものです」と話してくださいました。
じょうずに子どもを誘われていたのですね。
何とか子どもをお寺へお参りさせたい、何とかお寺が身近なところであってほしい、という親の素直な気持ちがよく伝わってきます。
今の時代、これと同じ言葉で子どもを誘うのは難しそうですが、この気持ちだけは大切にしたいものです。
「ね、お寺に行こうよ」
と誘い合わせ、お念仏の声を次の世代に伝えさせていただきましょう。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |