でも、お念仏だけは みんなの法話
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でも、お念仏だけは
本願寺新報2004(平成16)年12月20日号掲載
布教使 上戸 大聰(かんべ だいそう)
水害と地震に見舞われ
私の住む新潟県は今年、大変な年となりました。
七月には水害に遭い、十月には地震が発生し、大きな被害が出ました。
ちょうど十月の地震発生時に、私は所用で家を留守にしておりました。
出先で地震に遭い、すぐ家に帰ろうとしましたが、街中が停電で信号も機能をはたしていません。
道路も陥没したりしていて、いつもなら三十分ほどで帰れるところが、倍以上もかかって帰宅しました。
家に着いてみますと、家族は庭に出て不安そうな顔で家を見ています。
私は本堂や庫裏の被害を確かめようと、中に入りました。
本堂は壁が崩落し、仏具が散乱し、ご本尊さまも傷ついておられました。
庫裏も本棚などの家具が倒れ、壁が一部傷んでいました。
また、私は趣味で熱帯魚を飼っているのですが、地震の揺れで水が半分以上こぼれてしまい部屋は水浸しです。
七月に続いて十月にも水害に遭いました。
ショックでしばらく呆然(ぼうぜん)としているうちにも余震が襲ってきます。
その日は、つれあいと子どもたちは車でやすみ、私はなんとか無事だった所でやすみました。
次の日、明るくなってからあらためて家の被害を見てみますと、次から次へと問題点が見つかってきます。
ますます落ち込んでいますと、友人たちが飲料水の心配をしてくれたり、本堂の片付けを手伝ってくれました。
言葉もかけられぬ被害
数日たって、やっと我が家が片付きましたので、他に目をやる余裕ができ、ご縁のある小千谷市のお寺を訪ねました。
たどり着くまでに、道は地割れで通行止めの個所がたくさんあり、電柱も斜めになり、一部の住宅は崩壊していました。
先方のお寺に着きますと、門は崩れかかっていて、本堂・庫裏の壁は相当崩落していました。
また、建物すべてに危険度が高い印(しるし)の「赤い紙」が貼ってありました。
お寺の方たちは、なんとか無事であった車庫の中に避難しておられました。
予想を超える被害に言葉もかけられませんでしたが、「何かお手伝いすることありませんか」と声をかけますと、「それではご本尊さまと仏具の移動を手伝ってください」とのことでした。
本堂の中におそるおそる入りますと、一面壁が崩落しています。
なんとか仏具やご本尊さまを移動させてもらいました。
その時、住職さんがポツリと次のようなことを言われました。
「お寺ももうやっていけないかもしれません」。
返す言葉もなく、ただ黙っていますと、「でもお念仏だけは、まもっていかないとダメですねえ」と続けられました。
なんとすごい言葉だろうと思い、またそのとき気付かされたことです。
いつも私といっしょに
阿弥陀さまは、生きるのに精いっぱいの私に、はたらきつづけていてくださるお方でありました。
「あなたが忘れることがあってもこの阿弥陀は忘れないよ」と南無阿弥陀仏のお名号、たもちやすく称(とな)えやすいお念仏となって、あなたといっしょにいるよとはたらいてくださっておられます。
親鸞聖人は、
<pclass="cap2">生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓(ぐぜい)のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
(註釈版聖典579頁)
と、ご和讃に詠(うた)われています。
私たちの迷いを海にたとえられ、阿弥陀さまのひろき誓い、南無阿弥陀仏を船にたとえられておられます。
海と船が離れることができないように、私の苦しみと阿弥陀さまの救いは離れていません。
迷っていることに気付くこともできずにいる私に、阿弥陀さまは必ず救うという誓いの船に、もうすでに乗せたのだよと喚(よ)びつづけておられます。
この私がその大いなる願いに気付いたときには、阿弥陀さまの救いの真っただ中にあったのだと、このご和讃からいただくことです。
いろいろなことに振り回されているこの私が、阿弥陀さまに支えられながらこの人生を歩ませていただくのだと、今回の地震を通して、あらためて教えていただいたことです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |