すべての〝いのち〟の輝き みんなの法話
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すべての〝いのち〟の輝き
本願寺新報2003(平成15)年12月20日号掲載
龍谷大学講師武田 晋(たけだ すすむ)
子を持つ親の身として
十二月に入り、ご門徒のお宅で報恩講をつとめる〝おとりこし〟のお参りの真っ直中です。
まさに「師走(しわす)」がふさわしい時季でもあります。
一年を振り返ってみますと、国内では少年による凶悪犯罪が多かったように思われます。
子どもを持つ身としては、長崎市の幼児誘拐殺人事件は特に印象深い出来事でした。
先日も家族との夕食時、そのことで母が次のように話し出したのです。
ある婦人会の集会で、長崎の事件が話題となった時、一人の方が「あんな事件を起こす子の親の顔が見てみたい!」と発言されたそうです。
ところが、その発言に違和感を感じた母は「どんな親であっても、自分の子どもが罪を犯したりするように願って育てていないのでは? 親の身になって考えると、その言葉は言えないでしょ。
さぞつらい心境でしょうね」と助言したというのです。
確かに被害者遺族の心情は察するに余りあります。
言葉では言い尽せない悔しさと怒りであったでしょう。
しかし、もしその加害者の少年の親が私自身であったらと考えると、世間の声は批判的な言葉ばかりだったように思われます。
私はその母の言葉を聞いて、「なるほどそうだね」と頷(うなず)きました。
一人ひとり違う存在
私の子どもは幼稚園に通っていますが、ある時、その子が「♪そうさ僕らは世界に一つだけの花~」と歌いながら、「この歌知ってる?」と聞いてきました。
音楽通?の私は「お父さんだって知っているよ」って自信を持って答えました。
人気グループSMAP(スマップ)が歌っている「世界に一つだけの花」という歌です。
CDの売り上げが減っている音楽界で、今年発売後わずか二週間でミリオンセラーを達成したヒット曲です。
ピアノの音色や音楽の楽しさを直接伝えたいと、学校コンサートを開催しているピアニスト・西村由紀江さんによると、小学生が弾いて欲しいとリクエストした曲のダントツ一位がこの曲だそうです。
その歌詞には、人間はお互いを比べたり、一番を目指そうとするが、僕らは一人ひとり違う存在であり、小さい花も大きな花も一つとして同じものはないから、その花を咲かせることに一生懸命になればよい、と謳(うた)っています。
名もなき〝いのち〟にも視点をあてたこの曲は、現代風に言えば癒しの曲ともいえるでしょう。
〝いのち〟はなぜ〝尊い〟
私たちの人生は常に、損得・善悪・優劣・苦楽で比較して、分別に振り回されています。
少しでも善い外面であり続けようとし、出来事を傍らに眺め、それを善い悪いと批判しています。
「あの子はダメだ」と第三者は言います。
ですが、言われた子どもはどういう思いを抱いたでしょう。
ありのままの自分を認めてほしい。
何の取り柄もない僕がいることを喜んでほしい。
そう感じる子どもたちが多いからこそ、先の曲もヒットしているのでしょう。
すべての〝いのち〟は何故「尊い」といえるのでしょうか。
有用性を理由にして、役に立つとか、健康であるからという理由では説明がつきません。
親から見れば、どんなに手のかかる子でも最も大切な我が子であり、その子は存在する価値を持っています。
親鸞聖人は晩年、聖人と違った教えを説いた我が子・善鸞さんを義絶されました。
その義絶状を拝見しますと、「子とおもふことおもひきりたり...かなしきことなり」と、親として断腸の念で義絶されたことが「かなしきことなり」の一言に表れているように思われます。
人間は親子であっても縁を絶つことがあります。
しかし、決して捨てないぞと真実の願いをかけて下さる親さまが、「十方衆生」と喚(よ)び続けて下さる阿弥陀さまです。
私の〝いのち〟は、如来さまに願われ認められている〝いのち〟でもあります。
〝いのち〟の問題を常に我が身に引きかけて問うことと、私を輝かす〝こころの灯(ともしび)〟を持つ重要性を感じた一年でした。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |