さりげない行い みんなの法話
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さりげない行い
本願寺新報2008(平成20)年8月1日号掲載
京都女子大学教授 森田 眞円(もりた しんねん)
お恥ずかしいことで・・・
社会のさまざまな問題に対し、念仏者として積極的にかかわっていく必要性が、しばしば指摘されます。
先日も、ある講演会で、障害を持った方々の人権を守る活動をしておられる弁護士さんが、講演の中で「できればこういう活動に宗教家が加わってくれれば...と思うのですが」と話されました。
それは、まったくその通りの話です。
ところが、実はその時、ボランティアでその講演の手話通訳をされていた女性は、浄土真宗の僧侶だったのです。
自らは何も言われませんし、もちろん僧服を身に着けておられたわけではないので、誰も気づくはずはありません。
そして、その僧侶の方は弁護士さんのおっしゃったことに対して「本当にその通りだ。
お恥ずかしいことだなあ」と思いつつ、手話通訳を続けられたそうです。
こういう姿勢に、社会の問題に対する念仏者のかかわり方が示されているのではないでしょうか。
社会の問題に積極的にかかわっていても、それは特別なことではなく、さりげなく行っているというのが、念仏者の取るべき態度であるように私は思います。
感謝の心がため池に
私が住んでいる奈良の当麻(たいま)の地には、ため池が多く残っています。
大小のため池には、いつとはなしに「堂の池」「蓮(はす)池」「にごら池」「こめやま池」などなど、さまざまな名前がついています。
近年は吉野川分水が通ったおかげで、これらのため池の役割も昔ほど大切ではなくなってきました。
とはいえ、大きな川がなく、しかも山手にある田畑を潤(うるお)すため、江戸時代の先人たちが苦労して造ったものなのです。
決してため池は勝手にできたわけではありません。
ため池が造られるキッカケになったのは、大阪の堺に住んでいた「物種(ものだね)吉兵衛」と呼ばれる妙好人(みょうこうにん)[有り難い念仏者]でした。
吉兵衛さんには、堺でたいへんお世話になっていた住職さんがいました。
そのご住職が亡くなる寸前のこと、吉兵衛さんに向かって、「これからは、大和(やまと)当麻の明円寺の住職のもとに行って、お話を聞きなさい」とおっしゃいました。
そこで吉兵衛さんは、しばしば当麻の地を訪れるようになりました。
堺から魚の干物などの行商をしながら、通ってこられたようですが、今でいう「無人販売」のように、荷車をお寺の前に放っておき、自分はいそいそとお説教を聴聞されたそうです。
こんな吉兵衛さんとだんだんと親しくなっていった当麻の地元の人々は、お念仏を喜ぶ吉兵衛さんの人柄にどんどん惹(ひ)かれていきました。
やがて、吉兵衛さんを中心として、近隣の人たちによる念仏者のグループが出来上がりました。
そして、そのうちに、お念仏を喜ぶようになった仲間の中から、誰からともなく「何かご恩報謝の仕事をさしてもらわにゃ」という声があがりはじめたのです。
そして「それなら、ため池を掘ってみては」ということになったのでした。
こうして、念仏者グループの人々によって、当麻の地に、ため池が出来上がっていったのでした。
今はわずかに伝わるだけ
けれどもこの話は、吉兵衛さんのことをご先祖から聞いておられた方にわずかに伝わっていただけで、現在の地元
の人々にはまったくといっていいほど知られていません。
それはおそらく、先人たちには大仰(おおぎょう)に伝えようなどという意識がなかったからにほかなりません。
念仏者が社会に対して何かご恩報謝の行動をされる場合、決して大げさにはせず、当たり前のように行いつつ、どこか「お恥ずかしいことで...」という思いを持たれていることを感じます。
そこに念仏者の麗(うるわ)しさを感じるとともに、阿弥陀さまのお慈悲の温かさが味わえるように思えてなりません。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |