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ご縁 みんなの法話

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ご縁
本願寺新報2003(平成15)年9月20日号掲載
布教使 長谷川 憲章(はせがわ けんしょう)
無宗教時代に生きる

先日、興味深いデータを目にすることが出来ました。
インターネットを利用している世代、具体的には二十六歳から四十五歳ぐらいまでの方々の、信仰についてのデータです。
およそ一割が「信仰を持ち、関心も有る」、また一割が「信仰はないが、関心は有る」、六割近くが「信仰もなく、関心もない」、残りが「宗教に対して嫌悪感をもっている」ということでした(渡辺光一・関東学院大学助教授が、二〇〇三年「宗教と社会」学会全国大会で発表)。

無宗教の時代といわれる現代ですから、さして驚くべき数字ではないのかもしれません。
しかし、そうして「信仰もなく、関心もない」方々もやはり、「生・老・病・死」にいずれ直面されなければならない事を考えると、憂慮(ゆうりょ)せずにはおれません。
この紙面をお読みのみなさんは、すでに法に出会われた方々と存じますが、「信仰もなく、関心もない」方々はこれから宗教に出会われるのでしょう。
現在「嫌悪感を持っている」人も、出会われることになるかもしれません。

果たして、その方々は真実の法に出遇えるのでしょうか。
現代の人々はどこに向かってどんな人生を送られるのでしょうか。

座間味への小旅行で
ところで、「ご縁」ということの大切さを、痛切に感じることがありました。
今年、父と母が結婚四十周年を迎え、記念に小旅行をしてまいりました。
沖縄県の慶良間(けらま)諸島の中に、座間味(ざまみ)という小さな島があります。
実は、私の祖父の弟が戦死した場所です。
そこに、その最期をみとって下さったご婦人Iさんが今も暮らしておられます。
そのIさんに会いにゆく旅でした。

沖縄戦没者の遺族の方々で編まれた手記『十五年戦争の証言』を見てみますと、当時の方々には捕虜になるということに対して大変な不安と恐れがあったようです。
従ってこの座間味島でも多くの方が自決を選択され、その命を落としてゆかれました。

自決された方々の苦しみは察するに余りあります。
また、自決できない子どもさんに手をかけなくてはならなくなった親御さんもおいでになったのでした。
泣きながら、悲しみの中、親子して亡くなられたことでしょう。
Iさんのご家族も自決の末、Iさんを残して五人の家族全員亡くなられました。

Iさん自身も、自決されかけたのですが、失敗されたのでした。
投降後しばらくして、ご家族の最期の姿を発見されたのですが、その悲しみは筆舌に尽くしがたいものだったと思います。
そして、それからというもの、まぶたからその姿は消えたことはないと存じます。
遺品となった硯箱(すずりばこ)と紬(つむぎ)も、戦後の事情で砂浜にお埋めになったのでした。
家族全員の名前を呼びながら、埋めたそうです。

おみやげに1冊の本
まさに地獄としか言いようのない、そのような状況を生き抜いてこられたIさんに、父と母は会いに行ったのでした。
お土産に何を持って行こうか、たいそう悩んだ末、持参したのは、発刊されたばかりのご門主の著書『朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて』でした。
それからというもの、Iさんのご主人が『朝には紅顔ありて』を肌身離さずお持ちくださるようになりました。
そして、広島に帰った私の両親に電話がありました。

「聖典を送ってほしい」とのことでした。

終戦から五十八年、現在ではたくさんの家族に囲まれる幸せの中におられますが、決して忘れえぬ悲しみを背負われた一生でもあったIさんご夫妻に、一冊のご本が縁となって、一筋の光明が届いて下さいました。

幸せの中にいる人や悲しみの中にいる人、どのような状況の中にいる人も、阿弥陀さまの「摂め取って捨てぬ」誓いの中に、今この時を過ごしています。
私は今すでに、縁あって如来さまに出会わせていただきました。
その有り難さをかみしめつつ、また「ご縁」ということを大切にしつつ、いまだ出会わぬ人が少しでも早く出会って下さることを念願しております。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/