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こんな経験初めて みんなの法話

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こんな経験初めて
本願寺新報2000(平成12)年8月1日号掲載辻本 敬順(つじもとけいじゅん)(京都・明善寺住職)</p>え.秋元 裕美子自宅での葬儀が終わり、葬列は火葬場に向かって走っています。
</p>私は喪主とともに一号車に乗っています。
</p>だいたい、どの葬儀のときでも一号車は静かです。
無言のときもあります。
それは、喪主をはじめ、故人にもっとも近い親族が乗っていて、それぞれの人が亡き人を偲んでいるからでしょう。
</p>しばらくして、喪主から話しかけられました。
</p>「お寺で、会をしておられるのですね」</p>「ええっと、それは勉強会のことでしょうか」</p>「その会に入ろうと思うのですが」</p>「はあー、あのー、勉強会というのは、お経の練習をしたり、仏教の話や仏事の話をしている会なのですが...」</p>「ええ、亡くなった母が、その会に入(はい)れ、入れと、言っていたものですから...」</p>お亡くなりになったお母さんは、二十数年前、仏教婦人会の会員でしたが、体調を崩されて、出席されなくなりました。
</p>その後、婦人会は高齢化が進んで自然消滅し、代わってできたのが、男女共学の勉強会でした。
</p>「私は婦人会に入っていた。
あなた方もお寺の会に入りなさいって、いつも言うんですよ」</p>亡きお母さんの言葉を思い出しながら、こう話されました。
</p>「そうでしたか、よくわかりました。
毎月お参りをしていますが、そんな話、全然知りませんでした。
四月から新学年が始まりますので、案内状をお出しします」</p>葬列はやがて火葬場に着きました。
</p>相次ぐ凶悪事件近年、少年の凶悪事件が相次いでいます。
</p>少年をとりまく問題は、早くから議論されていたのですが、学校が悪い、家庭が悪い、社会が悪い、本人次第だ、といっているうちに、ここまで来てしまった感があります。
</p>神戸の小学生連続殺傷事件のあと、文部大臣は中央教育審議会に、「幼児期からの心の教育のあり方について」を、緊急諮問しました。
</p>審議会は、一年間の調査審議の結果、『新しい時代を拓(ひら)く心を育てるために-次世代を育てる心を失う危機』という答申をしました。
</p>この答申の内容は、今までのように、教育制度の改革を示唆したものではありませんでした。
</p>答申は、まず大人社会を取り上げ、個人の利害得失が優先し、責任感の欠如などモラルが低下して、「次世代を育てる心を失う危機」に直面していると訴え、「もう一度家庭を見直そう」と、家庭の「しつけ」の基本事項を並べています。
</p>審議会が、これほどまでに家庭のしつけに注文をつけるのは、学校だけで解決するのは、もはや限界がある、ということであり、その一方、「悪いことは悪いと、しっかりしつけよう」というような、当然のことばかりが並んでいる報告書は、当たり前のことさえ出来ていない「家庭」も、危機的な状態にあることを示しているのでしょう。
</p>親と家庭から『十年ほど前は、教室に行き、教壇に立ち、教室中を見渡せば、イキイキとした顔つきの、生徒それぞれの背後に、ホノボノとした「家庭」のたたずまいが、はっきりと感じられた。
</p>現在は、「そこに子どもがいる」ただそれだけしか感じられぬ。
</p>親の愛が、暖かく子どもをつつんでいないのだ』-これは、もう三十年近くも前に、教育評論家の矢野壽男先生が書かれた著書の一文です。
</p>先生はそのころから、「世の中の立て直しは、親と家庭から」と主張されていました。
</p>家庭におけるこころの教育が叫ばれている今、もっとも必要なことは何でしょう。
それは、</p>「念仏にかおる家庭をきずき、仏の子どもを育てます」(仏教婦人会綱領)の実践であり、</p>「念仏の声を世界に子や孫に」(基幹運動スローガン)の実践です。
</p>一人ひとりが、自分にできる方法で、この綱領やスローガンを具体的に実践することでしょう。
</p>亡き母も微笑む親鸞聖人は、『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』の終わりに、『安楽集』の文を引いて、</p>「前(さき)に生れんものは後(のち)を導き、後に生れんひとは前を訪(とぶら)へ」(註釈版聖典474頁)と、</p>説いておられます。
</p>これを、最近出版されました現代語版聖典『教行信証』(646頁)に伺(うかが)いますと、</p>「前(まえ)に生れるものは後(あと)のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。
それは、数限りない迷いの人々が残らず救われるためである」</p>とありました。
</p>※※四月。
</p>勉強会の始業式です。
</p>四・五十人の参加者の中に、かの喪主さんもご夫妻で出席されています。
</p>そして、座布団と椅子席の違いはあっても、同じ本堂で、亡くなられたお母さんと同じように、『正信偈』をおつとめされていました。
</p>「こんな経験は初めてです。
これからもぜひ出席したいと思います」</p>亡くなられたお母さんが、微笑んでおられるようでした。
</p>もうすぐ、初盆がやってきます。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/