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からだとこころのふれあい みんなの法話

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からだとこころのふれあい
本願寺新報2007(平成19)年1月1日号掲載
本願寺あそか診療所所長 佐々木 恵雲(ささき えうん)
震える手で聴診器あて

私が医学部六年の時、母方の九十二歳の祖父が老衰で亡くなりました。
今から二十年以上も前のことです。
当時はもう、たいていの人が病院で亡くなっていましたが、祖父は家族の看病を受けながら、自宅で息を引き取りました。

母から「恵雲、亡くなる前に一度おじいちゃんを診察してあげて。
きっと喜ぶから」と頼まれ、聴診器だけを持って祖父の家に行きました。

四月にもかかわらず肌寒い夜のことでした。

祖父の寝床の周りには、母や伯父、叔母たちが座っていました。
元気だった祖父の印象しかない私は、やせおとろえ、顔色の悪い祖父を見て戸惑い、そして、なんともいえない重苦しい雰囲気に心がつぶれそうになりました。

大学ではすでに病棟実習が始まっており、患者さんと接する機会もあったとはいえ、これほど状態の悪い人を診察するのは初めてでした。

震える手で聴診器を胸に当て、診察をしました。
今から思えば子どものまね事のような診察でした。

祖父の手を握ると、祖父はかすかにほほ笑み、私の手を握り返してくれました。

祖父が大変喜んでいたと母が後になり教えてくれましたが、私は複雑な気がしました。
あんなまね事のようなことで、祖父は本当に喜んでくれたのか。
自分の力のなさに少し落ち込んでしまいました。

顔見るだけでうれしい
診察後、一カ月を過ぎたころ祖父は息を引き取りました。
その一年後には、大学病院の研修医として私は医師のスタートを切りました。
祖父を診察したときに強く感じた自分の非力さを忘れるかのように必死で働いた二年間でした。

三年目に、、一般病院に移りました。
そこでは内視鏡や超音波といった検査手技の取得に夢中でした。
外来、検査、病棟と、目が回るほど忙しかったにもかかわらず、充実した日々でした。

一方、病棟で入院患者さんをじっくり診察し、ゆっくり話を聴くことはなかなかできませんでした。

一般病院に移り半年あまり、自分の仕事にかなり余裕ができたころ、六十歳代の末期がんの女性を担当したときのことです。
その方は積極的な治療はもう不可能であり、ターミナルケアが必要とされていました。

がん特有の痛みに対してはモルヒネなどの麻薬投与を行い、痛みのコントロールはまずまずうまくできている状態でした。
いつものように忙しく、バタバタと病棟に行き「○○さん、大丈夫?変わりないですか?」と話しかけ、様子を診て戻ろうとしたとき、その患者さんに「先生いつも忙しいのに診に来てもらってすんませんなぁ。
わたしら、先生の顔をちょっと見れるだけでうれしいんやで」と、にこやかに話しかけてくれました。

その瞬間、私は心に強い衝撃を受けました。
身体的な痛みをとることで満足し、患者さんの心に寄り添うことができていなかった自分に気づいたのです。
十分なケアができていない、そんな私に、気遣い、優しいことばをかけてくれた患者さんの姿を正視することはできず、照れ笑いをしつつ病室を去ってしまいました。

医療と仏教からだと心
私たち医療者は、患者さんに何かしてあげるといった上から下をみるような感覚で患者さんに接しがちです。
医療者と患者さんとの理想の関係は、何かをしてあげる、してもらうといった一方通行ではなく、からだとこころのふれあいを通じて、お互いが育(はぐく)み合い、高め合う関係ではないかと思うのです。

再び祖父のことを思い返すと、医師のふりをして、ガチガチに固まって診察していた私を、祖父は死が近くに迫った苦しい状況の中にもかかわらず、"何もあせることはないよ、今、お前のやれることをやればいいんだよ"と手を握り、優しく受け入れてくれた気がします。

あたたかく、大きな祖父の手の感触を思い出すたび、熱心な仏教者であった祖父が、"からだとこころのふれあい"こそ、医療だけでなく、すべての道に通じる原点である示してくれたと痛感しております。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/