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お盆 みんなの法話

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お盆
本願寺新報2000(平成12)年8月10日号掲載
岡橋 徹栄(おかはし てつえい)(大阪・教照寺衆徒,元本願寺新報記者)
ご先祖も走り回る?

え.秋元 裕美子
お盆の季節ですね。
一般には今月の十二、三日から十六日までがその期間であろうと認識されています。
例年、このわずかな間に「うちにお参りしてください」というご依頼が大集中。
お盆参りをする僧侶にとっては、ものすごく忙しい時期なのです。

後で述べますが、お盆そもそもの由来で「お坊さんにご馳走(ちそう)しなさい」と、僧侶へのねぎらいを促しているのに、「馳」「走」しているのは僧侶の方になっているのが現実です。
少なくとも私には、お盆にねぎらわれた経験はただの一度もありません...。

私が走り回るのは、すでにあきらめがついてますので一向に構わないんですが、お盆は死者も里帰り?する、という考え方が一般的になっていて、なにやら、亡くなった人まで、そこかしこを走り回っているようなイメージが定着しています。
ちょっと怖い風景を想像しちゃいますね。

お盆が、他の法事よりも増して慰霊の儀式ととらえられがちなのもこのためでしょう。
ご門徒さんとして、お盆をよいご縁にと、ともに味わわさせていただくためには、今少しお盆の意義を考えていただきたいものです。

神通第一の目連さん
まず、お盆の由来について、かいつまんでお話ししましょう。

お釈迦さまのお弟子で、神通力が一番といわれる目連さんという方がありました。
その方のお母さんがお亡くなりになったのです。
その後、目連さんは「優しかったお母さんは、きっと今頃天上でにこやかにお暮らしだ」と思い、神通力を使って会いに行きました。
ところがお母さんの姿はそこにはありません。
あわてていろんな世界を探しましたが、やっぱりおられない。
まさかと思いつつ、飢えに苦しむ世界をのぞいてみると、なんとそこにお母さんの姿がありました。

飢えたお母さんを助けようと、目連さんは食べ物を差し出すのですが、食べようとすると、なぜが火となって燃えてしまう。
どうにかして助けてあげたい一心で、ついにお釈迦さまに相談するのでした。

するとお釈迦さまは「僧侶が一定期間の修行を終える日がくる。
その日に多くの僧侶たちをもてなしなさい」とおっしゃいました。
その通り僧侶方にご馳走を振る舞うなどした目連さんでしたが、果たして、その功徳によって、お母さんは無事に救われたということです。

我が子思う母親の罪
その僧侶をもてなした日が、お盆の始まりというわけですね。
モノの本には、七月十五日とあります。
ちなみにお母さんが救われたうれしさのあまり、踊り出したというのが「盆踊り」の起源とも言われています。

どうです、お盆のイメージが変わったんじゃありませんか?亡くなった人が帰ってくるなどの話は出てこないでしょう。

それよりもなぜ、優しかったお母さんが、亡くなって飢えに苦しむ世界に堕(お)ちてしまったのか、そこを考えさせられる話ですよね。

お母さんは子どもに対する愛情が深いが故に、罪深い存在となってしまわれたということです。
たとえば多くの子どもが飢えている中、食べ物を手に入れたとします。
そこで、我が子可愛さに、食べ物をこっそり一人だけに与えるというようなことをしたとしたらどうでしょう。

親の愛情として見るならば、十分すぎるぐらい理解できる行為です。
多くの人がそうすると思います。
反面、それは他の飢えた人から見れば許されざる行為でもあったのです。
お母さんは、我が子を守るためには、どんな罪深いことも厭(いと)わなかった、そのため苦の世界に身を沈めてしまったのでしょうね。

子どもを育てるということは、多かれ少なかれ、そのような、犠牲を省みない愛情なしに成り立ちません。
大仰に言うならば、そのような愛情の順送りが、現在の人間社会を造っているとも言えます。

心静かに自らを省みる
他人同士はもちろん、親子のつながりも希薄になってきたと指摘される昨今です。
実際それが起因とされる、さまざまな事件が起きています。
新聞を見ると日本中の親子関係が崩れているかのように書いてありますが、まだまだお盆には里帰りして、家族大勢で過ごす人たちが大半ではないかと思います。

せっかくですので、お盆のご縁に、みなさんでそろってお仏壇に手を合わせ、まず、自分がこうしてここにいる身の幸せを感謝してみて下さい。

それは、きっとご両親からはじまり、さまざまな人への感謝につながって行くに違いないでしょう。
親の愛情や、人とのつながりなどは目に見えないものです。
感じ難いです。
ましてや、私たちはあわただしい世間のただ中に生きています。
心静かに自らを省みる時間と場所が必要なのです。
お仏壇にお参りすることは、そういう機会を与えていただいたことでもあるのですよ。

それが仏さまからいただいたご縁と喜んでいただけたなら、暑い中お参りに行く甲斐(かい)がありますね。

なによりのねぎらいです(笑)。


 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/