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お盆を迎える みんなの法話

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お盆を迎える
本願寺新報2005(平成17)年7月1日号掲載
足立布教所・都市開教専従員 北村 信也(きたむら しんや)
何のために僧侶になる

七月に入ると、私の住む東京ではお盆の季節を迎えます。

このお盆の由来といわれる『仏説盂蘭盆(うらぼん)経』には、仏弟子の目連(もくれん)尊者が、餓鬼(がき)道に堕(お)ちた今は亡きお母さんを救おうとするお話しが説かれています。
私はこれを聞くたび、浄土真宗の七高僧のおひとり・源信和尚(げんしんかしょう)とそのお母さんのエピソードを思い出します。

源信和尚は、幼い頃から非凡な方で、その才能が認められて僧侶となられた後、わずか十五歳で村上天皇の前で特別に『称讃浄土経』を講じるという名誉を得られました。
そして多くの褒美(ほうび)の品と「僧都(そうず)」の位を天皇から授けられました。

源信和尚は早速、この喜びを田舎で一人暮らしをしている母親に知らせようと思い、いただいた褒美の品を母に送ったのです。

ところが、褒美の品はすべて送り返されてきて、それには和歌が添えられていました。

後の世を渡す橋とぞ思ひしに

<pclass="cap2">世渡る僧となるぞ悲しき

お母さんは源信和尚に「あなたが仏の道を求めて僧侶になったのは、すべての人々を仏の世界に導くためではなかったのですか。
それを天皇の前で講義して誉められたからと、それに満足して出世したことを誇るとは情けないです。
どうか、初心にかえり、真剣に仏道を歩み、多くの人々に真実の教えを伝え、お浄土に導く人となって下さい」と伝えたかったのでしょう。

そのことに気付かされた源信和尚は、自らのことを「頑魯(がんろ)(かたくなで愚か)」とおっしゃられ、そのような者が救われる道は阿弥陀如来のご本願しかないと、人々にお念仏を通して、浄土往生を勧められました。

子を育てて餓鬼道に
一方、目連尊者は、お経によると、神通力によって母親が餓鬼道で苦しんでいることを知ります。
目連さんは、何とかしてお母さんを救おうと食べ物を差し出したのですが、お母さんが食べようとするとすべて炎になってしまいます。
これが餓鬼道の苦しみだったのです。

困り果てた目連さんはお釈迦さまに相談されました。
すると、お母さんが餓鬼道に堕ちたのは、母親が我が子を育てるため、つまり自分を育てるために行ったさまざまな罪のためであったことを知らされるのです。

当時、いや現代もそうですが、わが子を愛し育てるということは、裏返せば自己中心的な生き方にもつながります。
目連さん自身はお釈迦さまのもとで修行に励み、誰もが認める仏弟子となられていたことでしょう。
ところが、そんな自分を育てたために母親は餓鬼道に堕ち、今まさに苦しみのただ中にいるのです。

そして、母親だけを救おうとする目連さんに対し、お釈迦さまは、「安居(あんご)」という修行期間を終えた僧侶たちに衣食住のお供えをするようにいわれます。
この言葉通りに供養した目連さんは、無事お母さんをたすけることができました。

すべての人にさとりを
いかがでしょうか。
この二つのエピソードは、まったく別のお話ですが、私には同じ事を示唆(しさ)しているように思えるのです。

目連さんは母親を直接たすけようとして失敗しました。
本当の救いの道とは、仏道に精進することであり、それは母のみならずすべての人々を救う道であったのです。
さらに言えば、そのことを教えるため、目連さんのお母さんは餓鬼道に堕ちた姿をあらわすことにより、仏道を歩むことの大切さを教えられたのでしょう。

それはまさに源信和尚のお母さんと同じ思いだったのではないかなあと思うのです。

母親が救われた目連さんは、さらにお釈迦さまにお尋ねしました。
「後の世の人々も仏・法・僧に帰依すれば、その人や有縁の人々も救われるのですか」と。
お釈迦さまはよくぞ聞いてくれた、まさにその通りだとおっしゃいました。

仏道を歩むということは、決して自分だけのしあわせ、さとりを求めることではなく、すべての人々のしあわせ、救いを求めることであったのです。
そんな思いを新たにして、今年もお盆をお迎えしたいと思います。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/