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お盆を迎えて みんなの法話

提供: Book


お盆を迎えて
本願寺新報2004(平成16)年8月1日号掲載
相愛高校教諭 村上 泰順(むらかみ たいじゅん)
ハワイの盆踊り

「ハワイの盆踊りはすごい」という話を聞いて、一度見たいと思っていましたら、十年ほど前に実現しました。
六月から八月にかけて盆踊りがあり、私たちが行ったのは、八月の下旬でした。

寺の境内にやぐらが組まれ、そのまわりを広く囲むように、見物人が持参のイスに座っています。
イスで囲まれた内側で盆踊りが行われます。

やぐらの横では仏青、仏婦の人たちが飲料水とともにアンダギーというドーナツのような揚げパンとシェイブアイスというハワイのかき氷を売っていました。

ハワイはアロハシャツのイメージがありますが、浴衣やハッピ姿の人も多く、三味線や三線(しん)、太鼓を使って、いくつかのグループが交代で炭坑節、八木節などの曲を演奏していました。
時間がたつにつれて人が増え、熱気があふれ、見ている私たちにまで伝わってきました。

私はモイリリ本願寺というお寺での盆踊りを見ました。
盆踊りの前に、本堂では法要が営まれ、読経の後に、「踊りを楽しむだけではなく、ハワイへ移民された先人の苦労を偲びましょう」という法話がありました。
私の印象でいえば、ハワイでは、お盆の仏事の一つとして盆踊りがあるようにみえました。
その点でいうと、踊りを見て楽しむだけでなく、自分の今も振り返らせてくれる盆踊りであり、踊りや夜店を楽しむのが盆踊りと思っていた私は大変感動しました。

うちの女房も善知識
念仏詩人・榎本栄一さんの『尽十方(じんじっぽう)』に善知識(ぜんぢしき)という詩があります。
善知識は師、先生という意味です。

よくみれば

うちの女房も善知識

私が月日をかけて遍歴したのは

みな 菩薩さま 善知識

五十三人より多いかもしれぬ

普賢菩薩さまを拝めるのは

これから

詩の後半は『華厳(けごん)経』にある話です。
長者の家に生まれた善財童子(ぜんざいどうじ)は文殊菩薩に出会って仏道を求める決心をして、五十三人の先生を訪ねます。
善財童子は五十三人目の普賢(ふげん)菩薩を訪ね、教えを聞いてさとりの境地に至ったといわれています。

「普賢菩薩さまを拝めるのは これから」とあるのは、まださとりの境地からは遠いという意味です。

詩の前半では、奥さまが先生であり、榎本さんが長い年月をかけてあちこちで巡り会った人々はみな先生であるといわれます。
その数は善財童子の出会った五十三人の先生よりも多いといわれます。

榎本さんは、奥さんとの生活や他の人々との出会いの中で、楽しい思いもすれば、辛い経験もされたと思われます。
その一々が念仏をよろこぶ榎本さんをつくっているから、みんな善知識であるといわれたと思われます。

自分を見つめる
榎本さんは念仏によって自分の利己心、欲望を見つめた人です。
その点を「仏の光で照らされて自分の心が見せられた」といわれます。

また仏については、我欲に目がくらみやすいと言われる榎本さんの「そばにいてくださる」とされ、「利己心ある者のいる場が仏の活躍される場である」といわれます。
このような仏のはたらきを仰いで榎本さんは念仏をされます。

つまり、榎本さんの念仏は自分を見つめ、仏を仰ぐ念仏だと言えます。
(『尽十方』参照)

<pclass="cap2">盂蘭盆(うらぼん)やさまざまな恩に支えられ

という言葉があります。
共に過ごしてきた先祖の恩恵、先輩知友の恩恵をお盆に偲ぶことは素晴らしいことです。
また盆踊りの中で先人の跡をふり返ることも素晴らしいことです。

お盆の行事に参加して、多くの人々との出会いのおかげで、美しいとはいえない自分の心に気づかせていただき、仏の教えを聞く身にさせていただいたと恩恵を偲ぶことができれば、これもまた素晴らしい盂蘭盆になりそうです。

お盆を迎えて、私を支える恩恵を見つめてみてはいかがでしょうか。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/