お念仏の群れを! みんなの法話
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お念仏の群れを!
本願寺新報2000(平成12)年6月20日号掲載
藤 大慶(ふじ だいけい)(大阪・西福寺住職)
朝ドラ「すずらん」
え.秋元 裕美子
昨年放送されたNHKの朝のドラマ「すずらん」が大好評で、ついに映画化されました。
けなげに生きる主人公「萌」。
駅に置き去りされた「萌」を我が子として育てながら無心に任務を果たす駅長。
この駅長を尊敬し互いに支え合いながら生きている「明日萌駅」周辺の人々。
ついに「萌」の真心に感動し遺産を贈る炭鉱主。
これらの人々の心の動きが、無駄の無い的確な台詞に表現され、日本中に深い感動を呼び起こしたようです。
毎朝、夫婦そろって涙を拭いながら見ているうちに、「これは浄土真宗の村をモデルにしているに違いない!」と思い始めました。
支え合える村
昨年12月末にご往生された打本信英氏(北海道鷹栖町・専証寺)は、身寄りの無い5人の子供を引き取り、3人のお子さまと同じように何の分け隔てなく育てられました。
「すずらん」の駅長以上のお方だったと思います。
坊守さまやご家族の皆さまの温かいご協力があったことは言うまでもないでしょう。
しかしこういうことは、家族の協力だけで出来るものではありません。
その家族を取り巻く村(=群れ)全体の協力がなければ、うまく行かないのです。
外に冷たい差別の目が待っていたら、かえって逆効果になることも多いからです。
昨年秋、報恩講にお伺いして、総代さんたち(開拓二世で信英氏の教え子)のお話を聞かせていただいているうちに、「この村(=群れ)全体が、信英氏やそのご家族と同じだ!」と気付いて、心の震えるような感動を覚えました。
94年前、滋賀県出身の皆さん17戸が開拓に入られたそうです。
「一本の木を切り倒したら、空が少しだけ見えた!」と聞きました。
うっそうとした原生林の底から見えた小さな青空が、よほど印象的だったのでしょう。
和やかに語られる思い出話の奥に、つらかった出来事、悲しかった出来事が、山ほど秘められていたはずです。
そして驚いたことに、厳しい開拓が始まった翌年には、この専証寺が建立されているのです。
しかも当初から、この村の申し合わせの第一条は、「浄土真宗である事」となっていたというのです。
信念を持って、<浄土真宗による村作り>がなされていたのです!「浄土真宗のご法義に依らなければ、互いに支え合える本当の村にはならない」ことを、よくよく知っておられたのでしょう。
北海道には、このような浄土真宗の村が、随所に見られます。
「すずらん」の作者は、たまたまその一つを知って、ドラマを書いたのでありましょう。
仏法聴聞から
萱野の善福寺(大阪市箕面市)の報恩講にご縁をいただき、びっくりしました。
四座とも満堂です。
最前列に総代四氏が並ばれ、参詣者の3分の2ほどが男性で、全員和服。
足を崩される方もなく、しっかりと私の目を見て、真剣にお聴聞して下さいました。
ご住職も坊守さまも、熱心なお方ではありますが、特に厳格なお方のようにも見えません。
感心しながらも不審に思い、お尋ねしてみたところ、ご住職の石原章之氏は「百年程前、この村には、次々と事件が起こったそうです。
若い衆が何とかしなければと立ち上がったものの妙案も浮かばず、とりあえず仏法聴聞から始めようということになったと聞いております」とお応え下さいました。
なんと、<浄土真宗による村興し>があったのです!
私の学生時代、日曜学校に来ていたMさんがこの村に嫁いで来ていました。
四座とも熱心にお聴聞してくれました。
サラリーマンの家庭に育った彼女が古くからの村に嫁いで来たのですから、苦労も多かったことだろうと思い尋ねてみたら、「はい、おかげさまで、皆さんに優しくしていただいて幸せです!」と、応えてくれました。
これを聞いて、「この村には、お念仏が生きている!」と、確信したのです。
次代のために
このような村は、浄土真宗の盛んな地方には、まだたくさん残っていることでしょう。
しかし、何もかもが良いとは言えません。
次代のために何を残し何を捨てるのか、信念を持って実行出来るように、特に若い方にしっかりと仏法聴聞を重ねていただきたいものです。
今、日本中の誰もが、心から信じ合える、心から支え合える、本当の村(=群れ)を渇望していることは事実です。
お念仏のお育てをいただいた私たちの報謝行の一つは、次代のために本当の村(=群れ)を創ること、せめてその礎石になることではなかろうかと思うのです。
出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。 |