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お彼岸のおまいり みんなの法話

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お彼岸のおまいり
本願寺新報2003(平成15)年3月20日号掲載
浄土真宗教学研究所研究員 葛野 洋明(かどの ようみょう)
お浄土ってどんな世界?

浄土真宗のお救いは、お浄土に生まれさせていただくというお救いです。

みなさんはお浄土を本当にご存知ですか? 「ご法話で聞いているけれど、今ひとつピンとこない」という方もいらっしゃるでしょう。

浄土真宗のことでわからないことがある時は、一番よくご存知の親鸞さまにお尋ねするほかありません。

親鸞さまはお浄土をいろいろな呼び方で説かれます。

ご和讃には、

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  願土(がんど)にいたればすみやかに
  無上涅槃(むじょうねはん)を証(しょう)してぞ
  すなはち大悲をおこすなり
  これを回向(えこう)となづけたり
  (註釈版聖典581ページ)

と示され「願土」とおっしゃっています。

このご和讃には、語句の意味を示すカナがふられてあり、「願土は弥陀の本誓(ほんぜい)悲願の土なり」と付されています。
つまり、お浄土は阿弥陀さまの願いの通りにできあがっている世界だということです。

では阿弥陀さまの願いとは何でしょう?

親鸞さまの最晩年のお言葉に「ちかひのやうは、無上仏にならしめんと誓ひたまへるなり」(同769頁)とあります。

「阿弥陀さまの誓願は、この私を、この上ない仏さまにさせようと誓われた」とおっしゃるのです。

その願いの通りにできあがった世界がお浄土ですから、お浄土はこの私がさとりを開かせていただき、仏さまと成らせていただく世界なのです。

仏さまに成るとは?
先ほどのご和讃では「阿弥陀さまの願いの世界に生まれたものは、すぐにこの上ないおさとりを開き、仏と成ります。
それは大いなる慈悲の心をおこすことです」とおっしゃっています。

慈悲とは「抜苦与楽(ばっくよらく)」の意味だと言われます。
相手を慈(いつく)しみ、相手が悲しんでいる時には一緒になって悲しみ、苦しみを抜き、楽を与える心です。

私たちが身近に感じる例として「親の愛情」をもって慈悲の説明がされます。
たしかに似ている点はあります。
しかし、私たちが持つ親の愛情は、我が子だけに注がれています。
私たちが思い描くことができる慈悲は、私たちに縁のある者だけを慈しむという「小慈(しょうじ)小悲」と呼ばれる心です。

仏に成るということは「大慈大悲」の心をおこすことです。
この大いなる慈悲の心は、縁のあった者はもちろんのこと、縁のなかった者までも慈しみ、救おうという心です。

私たちは毎日の日暮らしのなかで、笑ったり泣いたりして過ごしています。
時には、どうしようもない悲しみを誰にも相談できず、たった一人で涙を流さねばならないこともあります。
そんな私を見捨てずに、悲しみをご一緒して下さって共に泣き、苦しみ悩みの本(もと)を抜いて、本当の楽を与えようとするのが大慈大悲です。

私たちと縁があり、今やお浄土に往(ゆ)き生まれた方々は、いのち終えられた時に仏さまと成られ、大いなる慈悲の心をおこされました。
それ以来、私たちにひと時も休まず、はたらきかけて下さっていたのです。

お浄土でジッとされている仏さまなんて、おいでになりません。
仏さまは思うがままに私たちを救うことができます。
それはまるで遊ぶがごとく私たちを救って下さるのです。
だから仏さまは楽しくって楽しくってしかたがありません。
ウキウキとはたらいて下さっているのです。

今がおはたらきの現場
えっ?そんな仏さまのおはたらきを、感じたことがないですって?

阿弥陀さまはいつも私とご一緒の仏さまですから、私がどこにいようと、何をしていようとお念仏申して日暮らしさせていただけばよいのです。

でもどうですか? 朝から晩まで「南無阿弥陀仏、ナマンダブ...」とお念仏があふれる毎日を過ごしているかと言えば、時々思い出したように、お参りするのが精いっぱいという私たちではなかったでしょうか。

親鸞さまは「曠劫(こうごう)よりこのかたつねに没(もっ)し、つねに流転(るてん)して、出離(しゅっり)の縁あることなし」(同217頁)と示されました。
もともと私たちは、仏さまの教えを聞いたり、仏さまやお浄土を思い、両手を合わせ、頭(こうべ)を垂(た)れて、お念仏申そうとする心さえなく、そんなご縁さえなかったのだとおっしゃるのです。

そんな私たちが「ああ、お彼岸やなあ...」と言っては懐かしい方がたを偲びながら、手を合わせお念仏を申し頭を下げるのです。

いや、言葉を慎重に選んで正しく言い直すと、合わすはずのなかった両手が合わさって、下げるはずのなかった頭が下がったのです。
お念仏申すはずのなかった私の口にお念仏が出て下さったのです。
これこそお浄土に往き生まれて、仏さまと成られた方々のおはたらきが至り届いている現場です。

お浄土に往き生まれて仏さまとなられてから「この私も阿弥陀さまの願い通り、仏さまと成ることができました。
あなたにも同じように阿弥陀さまの『必ず救う』という願いが至り届いているのですよ。
この阿弥陀さまの願いを疑いなく聞き受け、お念仏を申しましょうよ」とはたらきかけて下さっていたのです。

今、私の口にお念仏が出て下さっている。
それはまさに仏さまのおはたらきのまっただ中にいるのです。



 出典:「本願寺ホームページ」から転載しました。
http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/howa/